「化学」の語源と用語の歴史

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「化学」の語源は中国由来

日本語の「化学」という用語は中国語から借用した単語が定着したものです。

中国・上海のロンドン伝道会においてイギリス人宣教師のAlexander Wylie(中国名:偉烈亞力)が中心となり、1857年1月~翌年2月までの間、宗教や科学、文学、ニュースなど多分野の話題を扱った月刊雑誌 “Shanghai Serial”「六合叢談」(りくごうそうだん)が発行されていました。「化学」という語が用いられている例が、この一連の雑誌の中に3例存在することが知られています。

それまで(今でも?)国語学者の間では「格物入門」(1868年)が最も古い「化学」の用語の出典とされていました。「格物」というのは中国で “science” の訳語として当てられた用語の一つで、「格物入門」では科学全般に関する入門的な内容が広く紹介されています。その中に「化学之部」という章があり、これを語源とする説が広く信じられてきました。

今後は「化学」の初出を「六合叢談」とするのが一般的な認識になるでしょう。

 

「化学」という用語の日本史

ところで、西洋の「化学」という学問そのものを最初に認識した日本人は宇田川榕菴(1798-1846)とされています。彼は多数のオランダの化学書を読んで、この学問体系を書物「舎密開宗」(せいみかいそう)に著し、日本に初めて紹介しました。

オランダ語では “化学” のことを “scheikunde” といいますが、フランス語ないしはドイツ語では “chemie” と言います。榕菴はこの “chemie” の音訳として「舎密」という漢字を当てました。この読み方は「シャミツ」ではなく「セイミ」と読みます。漢字は音を当てただけなので、それ自体には意味がありません。

※ “chemie” は “ケミー” や “セミ―” よりも、現地語的には “ヒェミー” という発音が近いです。

榕菴が没してから15年後の文久元年(1861)に、川本幸民がフニング(J. W. Gunning)のオランダ化学書を和訳して「化学新書」と題したのが日本における「化学」の初出とされています。幸民は当時、幕府の蕃書調所に勤めていて、外国書を最も早く閲覧できる立場にありました。

前述の通り、「化学」という語は同時期の中国で発行された「六合叢談」などにおいて既に用いられていました。幸民はこの中国の用例に倣って書名に採用しました。中国人がなぜ “chemistry” に「化学」の語を当てたかについては詳しく分かっていませんが、「化」に “che” の発音や、物質が変化するという意味を持たせたかったのではないかと考えられています。

その後、日本では明治に至るまで「舎密」と「化学」が併用されていたようです。例えば明治2年(1869年)に大阪で開校した化学校は「舎密局」と称されていましたが、次第に「化学」へ移行して「舎密」という用語は使われなくなりました。


【参考文献】
『六合叢談』に見える化学記事」 – 坂出祥伸
Q13★化学という名称の起源を教えてください。…」 – 日本化学会 近畿支部
雑誌「中国21」第6号「小特集 漢語と日本語」より「近代日中学術用語の研究をめぐって」 – 荒川清秀