【総覧編】実は勘違いしてる?熟語・慣用句集

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「だらしない」という単語が「しだらない」から生まれたという説や、「あたらしい」という単語が「あらたしい」から生まれたという説もあるように、今でこそ間違いと言われるような読み方も、数世代後には市民権を得ているかもしれません。

しかし正しい(とされている)言葉を使うことは社会生活において大いにメリットがあります。以下で紹介する日本語は、実は貴方も間違って使っているかもしれません・・・。言葉が生き物であるというのは理解した上で、日本語の「いま」を見極めて余裕のある日本人を目指しましょう!(笑)

 

 書き間違い?

・応待
正しくは「応対

・転化
正しくは「転嫁

・有頂点
正しくは「有頂天

・迫車が掛かる
正しくは「拍車が掛かる
「拍車」とは、馬術において馬への推進の合図(扶助)を強める副扶助のための道具で、騎手が足に身に付ける金属製の馬具である。かつては競馬騎手にも使用されていたが、動物愛護の観点から2010年に拍車の使用が原則禁止となり、2020年には全面禁止された。現在では専ら馬術においてのみ使用されている。

・シュミレーション
正しくは「シミュレーション」”simulation” の綴りを知っていれば普通は間違えないはず。

・コミニュケーション
正しくは「コミュニケーション」”communication” の綴りを知っていれば普通は間違えないはず。

・進捗の「捗」
手書きの際に「捗」のつくりが「歩」になってしまっていることが多い。しかし「捗」のつくりには右側のはらいが無い。

・確率と確立
誤変換が多くみられるにもかかわらず訂正されることの少ない語。

・元素と原子
音が似ているが概念は全く異なる。「元素」とは物質を構成する成分を原子番号によって区別したときの種類に相当するもので、「原子」とは原子核と電子からなる物質を構成する最小単位の粒子である。

・新規と新奇
新規:新しいこと。
新奇:目新しく珍しいこと。
「新規」は単純に物事が新しいことを表すが、「新奇」は既知のものとは変わっていて物珍しいことを表している。既存の市場に新しく参入することは「新規参入」であり、これまでに存在しない全く新しい学術報告には「新奇性」がある、というように使い分ける。

・完璧と完壁
「完璧」〈カンペキ〉の「璧」は下の部分が玉〈ギョク〉である。これを土として壁にしてしまう書き取りミスが時々見られる。単なる間違いなので注意したい。

・副業と複業
副業:会社勤めなどの本業以外に、収入を得るために行っている仕事のこと。
複業:複数の仕事を掛け持ちすること。またそうした仕事のこと。
「副」の字は「メイン」に対して「サブ」という意味を持ち、「副会長」などの「副」として使われる。これに対して「複」の字は「1つではなく2つ以上の複数」という意味を表す。

・捕捉と補足
捕捉:獲物などの標的を捉えること。
補足:補って付け足すこと。
似ている見掛けの熟語だが、捕まえるのか補うのかで意味が異なる。漢字変換の際には注意。

・解答と回答
解答:問題や問いに対する答え。
回答:質問や照会に対する返答。
混同に気付かれずに文章に紛れ込みやすい単語。回答の方が広い意味で用いられる。

・揺動と陽動
揺動:揺り動かすこと。
陽動:自陣の意図を敵に誤認させて敵の注意を誘導するために、​わざと目立つように本来の目的とは違った動きをする作戦行動。
「陽動」の意味で「揺動」の字を使っているケースが時々見られる。

・影と陰
影:光が遮られて生じる暗い部分の像や形。
陰:光が当たらない暗い所。物に遮られて見えない所。人目に立たない所。
「影」が像や形に注目しているのに対して、「陰」は暗がり全体を指す語。情景を正確に描写するときには気を付けたい。

・凄絶と壮絶
凄絶:非常に凄まじいこと。
壮絶:極めて勇ましく激しいこと。
「凄絶」はセイゼツ、「壮絶」はソウゼツと読む。同じ読みだと思い込んで使っている人は実は多いのでは・・・?

・殺傷と殺生
殺傷:読みはサッショウ、殺したり傷つけたりすること。
殺生:読みはセッショウ、生き物を殺すこと。
漢字の書き取りや読み取りで引っ掛かりやすいので要注意。

・系統的と体系的
系統的:ある規則や法則にしたがって順序立てられていること。
体系的:一つひとつの要素が理論的な秩序や仕組みの中に組み込まれており、相互に関連して全体的としてまとまっていること。
微妙な違いではあるが、例えば、「系統的な分類」とは何らかの規則に基づいて各要素を順序立てて組分け・整理することを指し、「体系的な分類」とは全体が大きな一つの法則や秩序(体系)に従うように各要素を属性ごとに組分けすることを指す。両者の意味するところは正確には異なる。

・極地と極致
極地:北極や南極などの地域、最果ての土地。
極致:力を尽くして最後に辿り着く到達点やその有様、境地。極み。
意外と間違って使われやすい(変換ミスが気付かれにくい)単語。読み方が一緒なので注意したい。

・着工と竣工
着工:〈チャッコウ〉工事が始まること。
竣工:〈シュンコウ〉工事が終わること。竣功とも書く。
竣工の意味を知らずに使っていると思われるケースを稀に見かけることがあるが、意味が反対なので注意。

・嫌悪と険悪
嫌悪:〈ケンオ〉憎みきらうこと。不愉快に思うこと。
険悪:〈ケンアク〉表情や性質がとげとげしく厳しいことや、その様子。
嫌悪を【ケンアク】と間違った読みで覚えてしまっていると取り違えやすい。

・剣呑と安穏
剣呑:危険な感じがするさま。 また、不安を覚えるさま。
安穏:何事もなく穏やかなこと。
読みの響きから間違って使う人がいるとかいないとか。意味が真逆!

・鉄工と鉄鋼と鉄鉱
鉄工:鉄材料を加工する会社・工場などを指す。
鉄鋼:材料となる鉄や鉄からつくる合金の総称。
鉄鉱:鉄の原料となる鉱石のこと。
※鉄鉱(石)を精錬して不純物を叩き出すと鉄鋼になる。

・「的を射る」と「的を得る」
「的を射る」と「的を得る」はどちらも「上手く要点を掴む」という意味。『三省堂国語辞典』の第三版(1982年)の記載が元で「的を射る」が正しく「的を得る」は誤用と言われてきたが、現在ではいずれでも正しいとされる。ただし今でも多くの新聞社では「的を射る」に修正する方針を堅持している。

・「寸暇を惜しまず」と「寸暇を惜しんで」
辞書等で本来の言い方とされてきたのは「寸暇を惜しんで」であるが、現在では「寸暇を惜しまず」という用法も使われている。

・汚名返上と汚名挽回
いずれも「悪評を取り払って名誉を取り戻すこと」を指す。英潮社の『死にかけた日本語』(1976年)における「『汚名挽回』は誤用で『汚名返上』が正しい」とする記載が元で「汚名挽回」の誤用説が広く出回ったとされる。

・「雪辱を果たす」と「雪辱を晴らす」
まず「雪辱」とは「はずかしめをそそぐ」という意味であり、「受けた恥を清めて払うこと」を意味する。文化庁の調査(令和元年)によると誤用の「雪辱を晴らす」を使う人が過半数に上っている。晴らすべきなのは「屈辱」であるので間違えないようにしたい。

・前人未到と人跡未踏
「前人未到」は「これまでに誰も到達したことがない境地に辿り着くこと」を指す。「未開のジャングル探検という前人未到の偉業」とは言うが「前人未到のジャングルを探検する」とは使えない。後者の場合は「人跡未踏」を使うのが正しいが、現在では「前人未到」を「前人未」と書いて「これまでに誰も足を踏み入れたことがないこと」と、より広く解釈できる漢字に置き換えて使われるようになっている。

・鬼の霍乱(オニ-の-カクラン)
「鬼の霍乱」は「いつも健康な人が珍しく病気になること」を指す。「霍乱」は、もがいて手を振り回すという意味の「​揮霍撩乱(きかくりょうらん)」の略とされ、日射病や食中毒、暑気あたりを指す漢方医学用語。場をかき乱すという意味の「攪乱」と書くのは誤りである。

・「延々と」と「永遠と」
「延々と」は「物事や動作が長い間ずっと継続していること」を表すが、同じような意味で「永遠と」という言い方が最近増えてきている。寧ろ「永遠と」の方を正しいと考えている人が増えてきている印象。「延々と続く」に対して「永遠と続く」というのは(今のところ)文法的に正規の用法ではない。

・「舌先三寸」と「口先三寸」
「口先三寸」は誤り。「舌先三寸」は心がこもっていない言葉や本心でない上辺だけの巧みな言葉、またそうした言葉を使って話すことを指す。「口先だけである」という説明文から連想して「口先三寸」と誤って覚えてしまっている人は多い。

・「新規まき直し」と「新規まき返し」
辞書等で本来の言い方とされてきたのは「新規まき直し」である。「今までのことを改め、最初から始めること」を意味する。

・「噛んで含めるように」と「噛んで含むように」
辞書等で本来の言い方とされてきたのは「噛んで含めるように」である。「よく分かるように丁寧に説明すること」を意味する。

・「明るみになる」と「明るみに出る」
辞書等で本来の言い方とされてきたのは「明るみに出る」であるが、現在では「明るみになる」という用法も同じ程度使われる。

・「琴線が切れる」?
恐らく「堪忍袋の緒が切れる」と混同している可能性が高い。下の方でも紹介するが、「逆鱗に触れる」と「琴線に触れる」の意味の取り違えも最近非常に多い。「琴線」の意味の取り違えには気を付けたい。

 

 読み間違い?

・雰囲気
「フンイキ」と読むが、【フインキ】と誤読されることが多い。当然、正しく変換できない。最近では寧ろ、可愛げな語感やユルさを演出するために敢えて『ふいんき』と表記される場合もある・・・かもしれない。

・舌鼓
「シタツヅミ」と読むが、【シタヅツミ】と誤読されることが多い。にもかかわらず親切なことに、どちらも「舌鼓」と正しく変換されてしまう。「鼓」は「つづみ」のことで、肩に乗せる打楽器(小型の太鼓)を指している。

・賜杯
「シハイ」と読むが、【エキハイ】や、「腸」の字に似ていることから【チョウハイ】などと誤読されることがある。大相撲の天皇賜杯などを知っていれば誤読しなくて済むかも?

・凄絶
「セイゼツ」と読むが、「壮絶」につられて【ソウゼツ】と誤読されることが多い。凄のつくりに「ソウ」の読みは無い。

・言質を取る
「ゲンチ-を-ト-る」と読むが、【ゲンシツ-を-ト-る】と誤読されることがある。

・相殺
「ソウサイ」と読むが、【ソウサツ】と誤読される。「サツ」で読む場合は「ころす」の意味になり、「サイ」と読む場合は「ぐ・減らす」という意味になる。因みに「生殺与奪」は前者の意味合いなので「セイサツヨダツ」が正しい読み方である。

・未曾有
「ミゾウ」と読むが、【ミゾウウ】などと誤読されることがある。かつて某首相が【ミゾウユウ】と誤読したことは有名。サンスクリット語に由来する語で、元々は仏教用語。

・対消滅
「ツイショウメツ」が正しく、【タイショウメツ】は誤り。性質の反する素粒子がついを作って消滅することを表すため「ツイショウメツ」と読む。

・云々
「ウンヌン」と読むが、某首相が【デンデン】と誤読したことは有名。「云」は「言う」の意。「うんぬんかんぬん」も「云々かんぬん」と書く。「かんぬん」は地口じぐちの一種なので特に漢字は当てられていない。

・出生
「シュッショウ」と読むが、【シュッセイ】と誤読されることが多い。「出生率」や「出生数」、「出所届」はいずれも「人が生まれること」に関するので「しゅっしょう」と読む。

・装丁
「ソウテイ」が正しく【ソウチョウ】は誤り。

・伏兵
「フクヘイ」が正しく【フシヘイ】は誤り。

・無用の長物
「ムヨウ-の-チョウブツ」が正しく【ムヨウ-の-ナガモノ】は誤り。

・侃々諤々
「カンカンガクガク」が正しく【ケンケンガクガク】は誤り。
「侃々諤々」は「正論を吐いて屈しない様子」や「各々が率直に意見を述べて議論する様子」を表す。似たような四字熟語に「口やかましく騒ぎたてる様子」や「沢山の人が喧しく喋る様子」を表す「喧喧囂囂(ケンケンゴウゴウ)」がある。「喧」と「囂」には、ともに「喧しい(カマビス-しい/ヤカマ-しい)」、「騒がしい」という意味がある。
「侃々諤々」と「喧喧囂囂」が混同された結果、「喧喧諤諤(ケンケンガクガク)」という新しい四字熟語が定着したとされる。これは、色々な人が様々な意見を言い合って収集がつかず、がやがやとやかましい様子を表す語である。なお「侃々諤々」にはそのような「喧しい」というニュアンスは無いので注意。

・粗利益
「アラリエキ」と読むのが正しいが、多くの人は【ソリエキ】と読んでしまう。

・一日の長
「イチジツ-の-チョウ」または「イチニチ-の-チョウ」と読むが、近年では前者の読み方が大勢を占めており、後者を誤りとする説明を多く見掛けるようになった。「一日の長」は「論語」に由来する(中国の)故事成語であり、読み方は日本独自のものなので本来どちらでも良い。

・原因
「ゲンイン」と読むのが正しい。口語では真ん中の撥音が落ちて【ゲイイン】と読まれることがあるが正しくはない。

・全員
「ゼンイン」と読むのが正しい。口語では真ん中の撥音が落ちて【ゼイイン】と読まれることがあるが正しくはない。

・体育
「タイイク」と読むのが正しい。口語では真ん中のイ音が落ちて【タイク】と読まれることがあるが正確には正しくはない。

・既出
「キシュツ」と読むのが正しい。匿名掲示板(旧2ch)で【ガイシュツ】という読み方が流行したことにより、面白がって【ガイシュツ】と読む人がいる一方で、本気で読み方を勘違いしている人もいるらしい。

・生地
「セイチ」もしくは「キジ」の二通りの読み方が存在する。文脈によって読み方が変わるので注意。

・固執
本来は「コシュウ」という読みだったが、現在では「コシツ」に置き換わっている。いずれでも正しい。

・声を荒らげる
声を「アラ-らげる」と読むのが正しいが、多くの人は【ア-らげる】と読んでしまう。「荒らす」では「らす」を送るため、このように誤読されてしまうものと推察される。

・鮨
「スシ」と読むのが正しい。寿司と同じ意味。

・疾病
「シッペイ」と読むのが正しい。【シツビョウ】は誤り。

・幕間
「マクアイ」と読むのが正しい。【マクマ】は誤り。

・早急
「サッキュウ」と読むのが正しい。【ソウキュウ】は誤り。

・烏丸
「カラスマ」と読むのが正しい。【トリマル】や【カラスマル】は誤り。

・烏賊
「イカ」と読むのが正しい。【トリゾク】や【カラスゾク】は誤り。

・行脚
「アンギャ」と読むのが正しい。【ギョウキャク】や【コウキャク】は誤り。

・行灯
「アンドン」と読むのが正しい。【ギョウトウ】や【コウトウ】は誤り。


(以下、誤りとは言えないレベルになってきた単語)

・依存
「イソン」が伝統的な読み方であるとされ、国語辞典でも「イソン」を主な読みとしているものが多い。しかし最近の口語ではほとんど【イゾン】と読むようになっており、もはや間違いとは言い難い。

・間髪を入れず
本来は「カン、ハツ-を-イ-れず」と読み、間と髪の間に一呼吸置くのが正しい。【カンパツ】という読みは誤りとされるが、近年ではかなり市民権を得てきている。某政治家が【カンパツ-を-イ-れず】と読んだがメディア上で全く話題にならなかったことからも、もはや誤用とは認知されていないと言って良いだろう。

 

 意味の取り違い?

・情けは人の為ならず
「情けは巡り廻って自分に返ってくるもので、人の為だけのものではない」という意味の慣用句。国語的な文脈で「情けを掛けると人の為にならないので、してはいけない、という意味で取り違えられることが増えてきた」などと嘆かれる言葉の代表例として取り上げられるが、個人的には実際にこのような間違いをしている人は多くないのではないかと思う。

・おもむろに(徐に)
本来は何らかの動作をゆっくり行う様子を表す副詞。「いきなり」や「突然」、「脈絡無く」といったニュアンスで使っていると思われる用例が後を絶たない。幅広い世代に多く見られる誤用で、もはや転化した意味が定着し始めており指摘するのも憚られるレベル。「徐行(=ゆっくり進行すること)」の「徐」と覚えよう。

・がぜん(俄然)
本来は「急に」とか「突然」という意味の副詞。文化庁の調査(令和2年)によると、「とても、断然」の意味で理解している人が全世代で過半数を超えているという。「俄(=にわか)」であるので「急に/突然」の意味であることは漢字を知っていれば容易に連想できるはず。

・延々と
何らかの動作をずっと続ける様子について付ける副詞。「永遠と」と誤記されることが多い。この誤用は若者世代を中心に最近非常に多く見られる。

・すべからく
当然、なすべきこととして、是非とも、という意味の言葉。元々は「すべきことであるからして」という意味なのに、「皆が皆」とか「すべて、総じて」などの本来とは異なる意味での用法が多くなっている。最近非常に多く見かけられる用法で、もはや訂正が不可能なレベルで世代を問わず浸透してしまっている。

・失笑
「思わず笑ってしまうこと」や「堪え切れず吹き出してしまうこと」という意味の語であるが、最近では日本人の半数以上が「呆れて笑いも出ない」や「笑えるほど呆れる」などの意味で使っているという調査結果がある。「失禁」や「失言」のように、「失笑」の「失」は「うっかり出してしまう」の意味であることを覚えておこう。

・爆笑
本来は大勢の人が一斉に大きく笑うことを指す語であるが、現在では吹き出すように大笑いするという意味に転じ、笑っている人物が一人だけであっても使われるようになっている。

・割愛
「割愛」は「必要あるいは重要な部分であるが都合上仕方なくカットする」ことを意味する。「惜しく思うものを思いきって手放したり省略したりすること」が正しく、「この部分は重要ではないので割愛させて頂きます。」といった「単に省略する」という意味での用法は誤りである。

・二枚舌
矛盾したことを言うこと。嘘をつくこと。因みに三枚舌という慣用句は存在せず、イギリスの「三枚舌外交」は(日本独自の)固有名詞である。

・手ぐすねを引く
「くすね」は「薬煉」と書き、松脂を油で煮て作ったもの。弓の弦に塗って強度を上げる用途のほか、弓の柄 (つか) をしっかり握るするのに使われる。かつては騎乗して弓射 (きゅうしゃ) することがあり、弓返り防止のためにグリップ性能を補強する用途で使われていた。「手ぐすねを引く」には、来たるべき戦に備えて弓に薬煉を塗るようにして準備して待つ、という意味がある。したがって、「手ぐすねを引いて待っている」というのは正確には重言になってしまう。

・手をこまねく
何もせずに傍観している」という意味。若年層では「準備して待ち構える」という本来とは異なる意味で解釈している人が多い。「こまねく」とは腕や手を胸の前で組み合わせるという動作を指しており、「腕を組む」と言い換えた方が理解が早いだろう。

・浮足立つ
恐れや不安を感じ、落ち着かずそわそわしている」というのが本義。文化庁の調査(令和元年)によると、「喜びや期待を感じ、落ち着かずそわそわしている」という本来とは異なる意味で解釈している人が過半数である。これは「浮つく」と混同してしまい意味が引きずられているものと考えられる。

・御の字
「御の字」は「十分に満足できる」とか「最上の状態であること」の意味で用いられる。近年では「満足ではないが納得はできる」という「及第点」に似た意味での用法が増えているとされる。

・「妬み」と「嫉み」
妬み(ねたみ):羨ましくて憎らしい、呪わしいこと。
嫉み(そねみ):羨ましくて口惜しい、悔しいこと。
どちらも歪んだ羨望に由来する感情だが、微妙にニュアンスが異なる。ただし「嫉み」は単独で使われることは少なく、「妬み嫉み」(ねたみそねみ)として繋げて使われることが多い。

・破天荒
「破天荒」は「前人が成し得なかったことを行うこと」という意味の語。偉業を成した功績を褒め称えるときに使われるが、最近では字面の印象からか「豪快」や「大胆」、「荒っぽい」といった意味で使われることが多い。「破天荒な人」とは、無茶苦茶で誰もやらないような前代未聞のことをやるような人のことを指しており、本来は「乱暴で豪快な人」という意味ではない文化庁の調査(令和2年)によると、後者の意味で解釈している人は全世代で過半数を超えている。

・関の山
「これ以上はできないという限度」や「多く見積もってもそこまでだという限界」を指す。「せいぜい(そこまでしかできない)」という否定的なニュアンスの語なので、「最大限(努力する)」などといった意味での使い方は適切でない。また、限界に達しない程度なのに用いられる例があるので注意したい。

・吝かではない(ヤブサ-かではない)
「どちらかと言えばやりたい」とか「寧ろやりたい」といった前向きで肯定的な意思を表す語。「嫌々仕方なくやる」や「あまりやりたくないがやってもいい」という意味で用いられることがあるが、これは誤り。

・佳境
「何とも言えぬ素晴らしい所」が本義であり、物語などの「興味深い部分」や「景観の良い場所」という意味で用いられるのが正しい。しかし物語などの「一番大変な部分」や、単に最後の場面を迎えることを「佳境に入る」と表現する誤用が多い。近年ではこうした使い方が非常に多いため、「ある状況が頂点に差し掛かる」という意味を補足する辞書も増えてきた。

・「逆鱗に触れる」と「琴線に触れる」
「逆鱗」とは、古代中国の伝説上の神獣である龍の81枚の鱗(うろこ)のうち、顎の下に1枚だけ逆さに生えているとされる鱗のことをいい、これに触れると龍が激怒するとされる。このことから「逆鱗に触れる」は天子の怒りや、転じて目上の人の怒りの許容限度を超えてしまうような行為をしでかすことを表す。一方で「琴線に触れる」とは、感銘や深い共感を感じたり、物事を見聞きして感動したりする様子を、琴の糸が触れられて鳴る様子に喩えた表現。混同しないようにしたい。

・「青田刈り」と「青田買い」
「青田刈り」とは戦国時代における戦術の一つで、敵地の青田を刈る(まだ実っていない状態の稲を刈り取ってしまう)ことで、敵軍を兵糧を減らして弱体化を狙った兵糧攻めの一種を指す。一方で「青田買い」とは、収穫量を見越してまだ稲が青いうちにその田の米を買い取ることを指す。例えば、企業がインターンシップを通じて学生に早期内定を出すというのは正しくは「青田買い」である。ここで青田刈りとしてしまう誤用が極めて多い

・「寡黙」と「寡聞」
「寡黙」は「言葉数が少なく黙りがちな様子」であり、「寡聞」とは「物事を見聞きすることが少なく見識に乏しい様子」を指す。「寡黙な人」という表現があるがこれは「口数が少なく黙ってる事の多い物静かな人」のことを表現している。一方で「寡聞な人」という表現は無い。一方で「寡聞」の方は「寡聞にして存じませんでした」などのように、自分が不勉強なせいで物事をよく知らなかった、という場合に使われる。これらの熟語を混同して「寡黙にして知らなかったのですが」のように意味の分からない用法をする人を時々見掛ける。

・「サルベージ」と「トリアージ」
似た音の外来語であるが意味するところは全く異なる。「サルベージ」が海難救助や沈没船などの引上げ作業、破損したデータなどの復帰作業を指すのに対し、「トリアージ」は医療資源(医療スタッフや医薬品等)が制約される状況下で一人でも多くの傷病者を救うために、傷病者の緊急度に応じて搬送や治療など医療行為の優先順位を決めることを指す。この2語に互換性は無いので注意。

・光年
「1光年」は「光が1年間で進むことのできる距離」を指す。光年は時間の単位ではないが、ポップスの歌詞などではちょっと怪しい使い方が散見される。

・望外
「思っていた以上に良いこと」を意味する語。単に「想定外の」や「案外」という意味で使われている例を時々見掛けるが、正確には誤用なので注意したい。

僥倖ぎょうこう
思いがけない幸運や偶然に訪れた幸運を指す。偶然という要素が無いと正確には誤用。

・路頭に迷う
生活の手段を失って困窮することの慣用表現であり、生活の手段がなくなったり住む家をなくしたりして困っている状況を指す語。慣用表現であるため、「道に迷う」や「進むべき方向を見失う」という字面通りの意味で用いるのはやや不自然と言える。

慇懃いんぎん無礼
「慇懃」とは、人に接する物腰が丁寧で礼儀正しいことを指す褒め言葉である。これに「無礼」が付いた「慇懃無礼」は「インギンブレイ」と読み、見た目や上辺だけ礼儀正しく振る舞っておいて実は尊大で相手を見下げている様子を指す。また、言葉や態度などがあまりにも丁寧すぎて、かえって無礼に見えたり嫌味っぽく誠意が感じられなくなる状態にも使う。

・今こそ別れめ
唱歌「仰げば尊し」の「今こそ別れめ」の「め」は意志・決意を表す助動詞「む」の已然形であり「今こそ別れよう」という意味。「別れ目」ではないので注意したい。「こそ」は係りの助詞(係助詞)なので已然形の活用語尾となる(要するに係り結び)。

・人はパンのみにて生くるものにあらず
「人はパンのみにて生くる者に非ず」とも書かれる。これは「人間とは物質だけではなく、精神的にも満たされることを求めて生きる存在である」という意味の慣用句で、「旧約聖書‐申命記第八章」にあるモーゼの言葉、およびそれを引用した「新約聖書‐マタイ伝第四章」にあるイエスの言葉が由来。「人はパンだけを食べて生きている訳ではないので野菜や肉など他の物も食べましょう」という意味では決してない

・「捧げる」と「授ける」
捧げる:〈ササげる〉神仏や目上の人などに物をさし出すこと。
授ける:〈サズける〉上の者から下の者に与える。賜(たま)う。
「授ける」はモノの流れが[目上の人]→[目下の人]なのに対し、「捧げる」では[目下の人]→[目上の人]と反対になる。「捧げる」には単に「相手に恭しく物を贈ること」という意味もあるがニュアンスとしては動作の主体が目下の人となるので、会話で咄嗟に使うときなどに間違えられることがある。

姑息こそく
「姑息な」という語は元々「一時の間に合わせ、その場逃れ」という意味の語であったが、転じて「卑怯な」とか「ずる賢い」という意味で用いられるようになった。もはや訂正不可能なレベルで浸透しており、多くの辞書で後者の用法も採録されている。

・敷居が高い
「不義理や面目のないことがあってお邪魔しにくい」という意味の語。「高級だったり格調高かったりしてその家や店に入りにくい」の意味は誤用とされていたが、近年になって新しい用法として辞書に採録されるようになってきた。文化庁の調査(令和元年)によると、50代以下の世代ではこの新しい意味で使っている人が過半数を超えている。

・なし崩し
元々は「借金を少しずつ返済すること、徐々にすこと」を意味したが、恐らく「崩し」の語感から「勢いのままに物事を進めきってしまうこと」を指すようになった。もはや「うやむやのまま最後まで押し切る」という意味での用例の方が多く、この用法を併記している辞書も増えてきた。

(順次追加予定)


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