映像メディアの歴史
情報化社会における有力なメディアの一つが動画です。今でこそ皆さんが日常的に触れている動画という形態のメディアですが、人類が映像というメディアを手に入れてからまだ100年余りしか経っていません。
映像というメディアの歴史は、1895年にフランスのリュミエール兄弟によるシネマトグラフ(cinématographe)の発明まで遡ります。シネマトグラフの制作に関しては、トーマス・エジソンと助手のウィリアム・K・L・ディクソンが1894年に公開したキネトスコープに影響を受けていると言われています。その後、これらの映像メディアはフィルム、すなわち映画へと発達していきます。
トーキー(発声)映画が流行したのは1920年代のことで、観客はそれまでのサイレント(無声)映画では得られなかった臨場感を体験することになります。世界初のトーキー「ジャズ・シンガー」の大成功を皮切りに、ハリウッドが映画界の代名詞となりました。
※ 1952年公開のミュージカル映画「雨に唄えば」は、ちょうど映画文化の中心地がハリウッドに移りつつある1920年代後半を舞台としています。名作なので是非ご覧になって下さい。
映画からやや遅れて、世界初のテレビジョン放送が1936年のイギリスで開始されました。日本においては、戦後の1953年(昭和28年)2月にNHKによって開始されたのが国内初です。
※ 日本でも1938年には松下無線・東京研究所で12インチブラウン管を使用したテレビの試作品が完成しており、1930年代末期にはテレビジョン放送の原型が出来上がっていました。その後、戦乱の影響で開発が中断してしまったという経緯があり、公共放送の開始は戦後にズレ込むことになりました。
テレビ放送は長らく大衆娯楽の中心であり続けました。インターネットが発達した現代においてもなお、メディアの代表格の座に君臨しています。しかしお茶の間に家族が集まって「ドリフ大爆笑」が見られていた時代はとうに過ぎ去り、映像メディアにも「個」の時代が訪れています。特に最近ではYouTubeやTiktokなど個人レベルで映像を武器に情報発信できるようになり、映像の「大公開時代」と言えるまでになっています。2020年から数年間にわたって続いた新型コロナウイルスのパンデミックも映像メディアの消費においても制作においても個人化が進みました。
これは一見すると情報化社会の豊かな面のように思われますが、ユーザー目線に立つと、色々な問題が浮かび上がってきます。
動画劣後論
最近、YouTube上で様々な分野の「解説動画」が多くのユーザーの手によって無数にアップロードされています。オンラインサロンや○○教室などの体裁で多数のサブスクリプションを集めているチャンネルがここ数年で急増しました。
中には優良な情報発信を行っているチャンネルも勿論存在しますが、残念なことに一概には皆良いものばかりとは言えません。そもそも専門外の人間が、あやふやな理解で知識を開陳している状況は懸念すべきことです。そして何より、動画は情報の密度に限界があります。
執筆時点(2022年3月末)でも、最近そうした問題提起が増えており、また多くの人々に共感されていると感じます。Twitterの例を幾つか挙げてみます。
なんでもかんでもYouTubeで顔出して解説というのはやめてもらえないかな。文字で読めば1分のところを15分とか時間をとられるのはかなわない。論理的情報に関しては文字メディア+図表が最強。
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) March 28, 2022
Youtuberをみんな見るようになって、情報を纏める人がテキストではなく動画という形で情報を纏めるようになり始めたので、インターネットが以前より不便になったように感じてる。
検索性が低い・見るのに時間がかかる・必要な情報を切り出しにくい、などなど、色々ダメな要素が多い気がする。— chokudai(高橋 直大)@AtCoder社長 (@chokudai) March 22, 2022
このように、文章や図表などの「面的」な形態は、動画という「線的」なメディアに比べて、単位時間あたりの情報伝達可能量に大きく差があります。このことを、管理人は独自に「動画劣後論」と名付けています。一般的な名称ではありませんので他所では通用しませんが、端的な表現で気に入っています。
実は「分かりやすい」の筆頭だと思われがちな動画というメディアは、確かに大衆受けしやすいメディアです。しかしその内容は「分かりやすい」というよりも「分かった気にさせる」という性格が強く出てしまっているのではないかと思います。
そしてプラットフォーム側も、そうしたコンテンツ作りを構造的に助長してしまっています。YouTubeが特に顕著で、最後まで動画を見ないと求めていた情報が存在するかすら分からない、といった悪質(と言っても良いでしょう)なものが増えてきています。これは収益化の評価ポイントが動画の視聴時間になっていることが理由の一つでしょう。その他にも、単純に作り手の技術が低い、ただただ感情に訴えたいだけ、…といった原因も考えられます。
いずれにしても動画というメディアはユーザーの時間を拘束してしまうという点で「一見すると現代的に見えるのに実は現代的でない」表現方法と言わざるを得ません。当サイトが全く動画で情報発信しないのも、こうした問題意識が根底にあるからです。そしてそもそも動画コンテンツの作成には時間がかかります(慣れれば手早く作れたりはするのですが)。
一昔前には(今も?)「○○の真相はコレ!」と銘打っておきながら、中途半端な結論の後に「いかがでしたか?」で締める量産型の捨て記事が多く出回っていましたが、最近ではGoogleの検索エンジンが賢くなり、芸能関係の記事でしか見なくなってきました。情報をスマートに伝達することはそんなに難しいことなのでしょうか?