ヘリウムガスを吸うと声が高くなる本当の理由

ヘリウムガスを吸うと声が高くなるというのは周知の事実ですが、この現象の正しい原理を知っている人は少ないと思います。今回は「ヘリウムガスを吸うとなぜ声が高くなるのか」についてまとめました。

 

 ヘリウムについて

ヘリウム(helium)の原子番号は2で、周期表の一番右上に位置する希ガス元素です。ヘリウムは最外殻が電子で満たされた希ガスの一種で、単原子分子として安定に存在することができます。

ヘリウムは天然ガスと同じ条件で地下に閉じ込められており、商業用ヘリウムのほとんどは天然ガスから抽出されています。天然ガスの井戸には1%程度のヘリウムを含むものがあり、ここから産出される天然ガスを分離・精製することで生産されます。ただし化石燃料とは生成するメカニズムが異なっており、岩石中に含まれるウランとトリウムの放射性崩壊により年間およそ3000トンのヘリウムが自然に発生していると推定されています。

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ヘリウムは常温・常圧下で非常に軽い気体であるため、風船にヘリウムガスが封入されたりします。

図.ヘリウムガスを封入した風船のイメージ

風船以外にも色々な利用例があります。

ヘリウムの気体は軽く反応性に乏しいため、最も軽い気体である水素の代わりとして飛行船の浮揚ガスに使われています。飛行船が民間輸送に使われるようになった20世紀初頭は飛行船の浮力源に水素ガスが使われていましたが、1937年に発生した飛行船「ヒンデンブルク号」の爆発事故をきっかけに、不燃性のヘリウムガスが充填された飛行船が主流になりました。

また、ヘリウムは沸点がマイナス269度と全元素の中で最も低いため、超伝導電磁石を保冷するために液体ヘリウムが用いられています。NMR(核磁気共鳴)装置の超電導磁石を冷却し、超電導状態を維持する為に液体ヘリウムが必要で、長期間、液体ヘリウムが充填されなければクエンチ(超電導状態の消失)を起こす恐れがあります。この修理には数百万円、大きな装置の場合は数千万円単位の費用が掛かることがあるため、理科系の施設や病院などでは停電時に備えて非常用電源が装備されています。

その他、ヘリウムガスはパーティーセットとして市販されており、吸った人の声が面白おかしく変わるので、使われる機会の多いアイテムです。ユーチューバーでも動画の企画で使ってる人は結構いますよね。


ヘリウム混合おもしろガス

ではなぜヘリウムガスを吸うと声がおかしなことになるのでしょうか?

これは実は、意外と複雑な問題なのです。

 

 声が高くなる理由は「音速」が違うから?

ヘリウムガスを吸うと声が高くなるのは、「空気中を伝わる音の速さ」と「ヘリウムガス中を伝わる音の速さ」が異なるため(ヘリウム中の方が音速が速いから)です。

 

・・・・・・と説明している本やウェブサイトが結構多いのですが、この説明ではやや不十分です

空気中でもヘリウムガス中でも声帯の振動周波数は変わっていないのですが、このことから何かが言える訳ではありません(中にはこのことすら誤解して説明しているものもあります)。媒質が声帯の振動数に影響を与えないという事実は重要です。

一般に、声の高さは声帯の振動周波数だけでは決定されません。人間の声が生成する過程は非常に複雑です。声門で発生した空気の振動(音)が、声道から口腔、鼻腔にかけて次々に共鳴することで倍音が増幅されていき、最終的に聞こえる音がその人の声になっています。実際、人の声から観察される周波数のスペクトルはかなり複雑です。

ヘリウムを吸入すると、音声が強く共鳴する周波数フォルマント(Wikipedia))が高周波側に変化し、周波数のスペクトルが全体的に周波数の高い方へ偏ります。これは、音の速度が速くなるために共鳴がより高い周波数で発生することが理由です。ヘリウムガスを吸入することで気管内部の共鳴周波数は高くなりますが、一方で声帯の振動周波数はヘリウムの吸入前後で変わらないため、違和感を生じるのです。

例えば、太鼓の発音は共鳴ではなく太鼓の皮で直接空気を振動させているため、ヘリウムガスの中で太鼓を叩いても音程は変わりません。また、弦楽器も弦の振動によって発音しているだけなので音の高さは変わりません。

一方、リードを振動させることで音程を制御しているリード楽器では、リードの振動周波数に対してヘリウム中の共鳴周波数が高くなるため音高が高くなります。ここで、リードというのはクラリネットなどのシングルリード、サックスやオーボエなどのダブルリード、フルートなどのエアリードのすべてが該当します。

YouTubeで幾つか例を見つけたのでピックアップします。

    • シングルリード:クラリネットの場合
      (モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調 K.622 第1楽章 ソロ冒頭)

    • ダブルリード:サックス(サクソフォン)の場合
      (「ドラゴンクエスト」シリーズ レベルアップ効果音)

    • エアリード:フルートの場合
      (モーツァルト トルコ行進曲)

多くの場合、長2度~短3度ほど音程が上がるようです。

このような事情により、「これだけのヘリウムガスを吸い込めばこれだけ高い声になる」というのは定量的に計算することができません(仮にできたとしても非常に難しいです)。気管の長さや太さには個人差があり、人によって声紋が異なるためです。

ヘリウムガスを吸うと声が高くなる理由について、波の基本式やドップラー効果などを使って解説(?)しているウェブサイトをちらほら見かけますが、残念ながらいずれも不正確な説明です。皆さんが誰かにこの原理を説明するときは注意して下さい。

 

 ヘリウムガス中の音速

ヘリウムガス中における音速の概算値は次のように計算できます。

1気圧20℃の空気中における音速は $344 \text{ [m/s]}$ です。一方、純粋なヘリウム中における音速は1気圧20℃で $1020 \text{ [m/s]}$ で、中における音速は1気圧20℃で $326 \text{ [m/s]}$ です。ヘリウムガスには酸欠防止のために20%ほど酸素が封入されているので、ヘリウムガス中における音速は$$\small 1020 \text{ [m/s]} \times 0.8 + 326 \text{ [m/s]} \times 0.2 = 881.2 \text{ [m/s]}$$と概算できます。したがって、ヘリウムガス中では空気中に比べて音が約$2.5$倍の速さで伝わります。

一般の気体について、$\kappa$ を気体の比熱比、$P$ を圧力、$\rho$ を密度とすると、音速$v$は$$v = \sqrt{\dfrac{\kappa P} {\rho}}$$で与えられます。この式から、気体中を音が伝わる速さは、気体の密度が小さいほど速くなることが分かります。これより、空気中よりもヘリウムガス中の方が音速が速くなることが定性的に説明できます。

ただし、この計算からだけではヘリウムガス吸引後の楽器の音がどの程度高くなるのかを具体的に求めることはできません。例えば、次の動画はヘリウムガスを吸引した奏者がリコーダーを演奏するものですが、周波数が$2.5$倍になっている訳ではありません。このことからも分かるように、ヘリウム吸引後の音程の変化を正確に計算することはできません。

この動画でも全音2度程度だけ音程が上がっているようです。動画中でも触れられていますが、室内を完全にヘリウム:酸素=80:20の気体で充填すれば理論上は音高が$2.5$倍になると予想されます(ただ、そんな部屋にはあまり長時間は居たくないですし、とんでもなく費用が掛かりそうです…)。周波数が$2.5$倍というのは2オクターヴ半に相当するため、かなり音程が上がることになりますね。

因みに、ヘリウムガスとは反対に、六フッ化硫黄やアルゴン、キセノンなどの無毒で高密度のガスを吸入すれば共鳴周波数を下げる効果が得られますが、空気より重たい気体を吸い込むと肺からガスを取り除けなくなって高確率で窒息するので絶対にやめましょう

 


こういう雑談的な記事はどのカテゴリに分類するか迷いますね・・・。

(2023/10/17 追記)一部の解説と参考動画を追加しました。

“ヘリウムガスを吸うと声が高くなる本当の理由” への4件の返信

  1. 分かりやすい説明ありがとうございます。ヘリウムガスを吸った時に声が高くしかも奇妙に聞こえる理由を正しく説明できないのは一般の人ばかりではありません。工学部の教授でさえ勘違いしている人がいます(日本海側の某工業大学教授)。まず声帯の振動数に対して媒質の影響はほとんどないということを理解していません。菅共鳴の周波数は解の中に音速が入っているのでこの共鳴周波数が全て媒質中の音速分だけ高くなるが、音源の周波数は変わらないことが聞こえ方に違和感を与えているということを明確に説明しているサイトは私が知る限りここだけです。ありがとうございました。

    1. 村田 公一 さん

      初めまして。
      コメントをお寄せ頂きありがとうございます。

      お話から察するに、村田さんは音響学を専門にされているご様子と伺います。
      専門家からお褒めの言葉を頂けて大変恐縮です。

      ヘリウムガスを吸うと声が高くなる理由については、私自身、きちんと調べるまでよく理解していませんでした。
      共鳴周波数のみが変化するために音響に違和感を生ずる、という説明をしているウェブサイトは仰る通り、全くと言って良いほど存在しません。私の探し方が甘かったのかは分かりませんが、日本語のサイトを見ても参考になるものが見当たらず、結局、参考にできるようなウェブサイトは英語圏のものしかありませんでした。

      正確な管共鳴の周波数はひょっとすると波動方程式を解けば求められるのかもしれませんが、さすがに専門外なのでそこまでは立ち入りませんでした。ただ、ドップラー効果などに基づくなんちゃって解説がインターネット上から淘汰できれば、この記事を公開した甲斐があったのかなと思います。
      こちらこそ記事をご覧頂き、感謝申し上げます。

  2. ご返事ありがとうございます。私は専門家ではありません。私は専門学校の一教員にすぎません。素人が考えても声帯というかなり質量の大きなものに媒質としての気体が変わったぐらいで周波数変動が生ずるとは考えられません。そんな簡単なことすら分かっていない自称科学者が蔓延しているのが現状です。ある意味恐ろしいことです。地震学者、原子力関係学者、感染病学者皆同じです。ノーベル賞なんてなんの意味があるんでしょうね?iPSの技術で移植が成功したという話を聞いたことがありますか?おそらく失敗ばかりなので報道できないんですよ。

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