生産性や効率というものに関するちょっとした雑談回です。情報発信のあり方について徒然なるままに書き下しております。ネット上の知を創るということに、少し意識を向けてみます。
勉強する上で少し役に立つことも書いてある・・・かもしれませんが、多分大したことは書いてないと思いますのでどうぞ気楽にご覧下さい(笑)。
生産性を上げるということ
生産性の高い人はそれだけ会社などの所属する組織に大きな貢献ができるということを意味しています。例えば、同じレベルの業務を同じ期間に10個こなせるAさんと、1個しかこなせないBさんでは、生産性に有意な差があると言えます。
メリトクラシー(能力主義)の立場に立てば、より多くの仕事ができるAさんの方がより高い社会的地位に就ける可能性は高まります。年功序列制度が見直され、能力主義が浸透しつつある現代日本では、より生産力の高い人材がますます重宝されるようになるのは明らかです。
本稿では生産性を「有形無形を問わず特定の成果物を生産する総合的な力」と捉えることにします。ただしここでの「特定の成果物」とは自分自身だけでなく他人にとっても有益なものであるとします。
生き馬の目を抜くインターネットの世界では生産性というファクターが特に重視されます。単位時間あたりに良質な情報をどれだけ発信できるか、というのは今後さらに発達していくであろう情報社会において重要な要素です。実際、情報を生産して拡散し、より多くの人々に影響を与える能力を持った人々(インフルエンサー)の影響力は、商業的にも文化的にも、時には政治的にも無視できないものになっています。
高い生産性というのは高い競争力を意味します。情報発信という点にとどまらず、一般に仕事のスピードが速い企業はそれだけで価値が高まります。短い期間に多数の仕事を受注し納品できるようになれば、業績で他のライバル企業に差を付けることができます。ものづくりだけでなく、生産性が高ければより迅速に良質なサービスを提供することができます。これは単にお金の問題に留まらず、サービスによって利益を享受する全ての人にとって喜ばしいことです。
短い時間で同じだけの仕事をこなせるのであれば、勤務時間を減らして社員のプライベートの時間を増やすこともできます。仕事に費やす時間を削減することは、働く人々のQOL向上にも繋がります。
生産性を高めることは社会全体にとっても有益なことだと言えます。
ところで、「どうすれば自分の生産性を上げられるか」を追求することは、「どうすれば最も効率的に勉強を進められるか」を追求するのとよく似ています。
ここで「勉強が進んだ」ということは、ただ単に指定した範囲の教科書を読み終えたとか、問題集のワークの空欄を埋めたとか、そういうレベルのことではなく、習得した知識を体系的に運用できるようになった(=吸収した情報を知識として応用する技術を会得した)ということを指しています。
研究でも仕事でも、限られた時間の中で知識を身に付ける、即ち勉強という作業は避けて通れません。知識が自分の血肉となり、自由自在に使いこなせるようになるのが勉強の最終目標です(職人技のように一朝一夕では身に付かないものもありますが)。ただ単に机の前で時間を無為に費やして「作業」をこなしていれば良い訳ではありません。この点を正しく理解した上で勉強に取り組めない人は残念ながら「勉強が下手な人」です。
〇〇君より自分の方が勉強時間が長いのになぜ成績が上がらないんだ、というのは勉強スタイルが非効率的な人の典型的な文句です。少なくとも〇〇君の方が「生産的」な時間の使い方をしているということです。
例えば、部活動などで「毎日2時間練習する」という目標を立てたとしても、実力向上に無関係なメニューが含まれていれば、そのメニューをこなす時間は実質的に無駄になってしまいます。一般社会においても同じことが言えます。例えば業務効率化のために「今後の社内ミーティングは30分まで」というルールを設けたとします。これは社内ミーティングを30分間だけ行うこと自体が目的なのではなく、30分という時間的制約の中で情報交換・共有や議論の効果を最大化できるように様々なプロセスを効率化することが第一の目的であるはずです。今まで通りのルーズさでミーティングを行っていては30分だけで不足するのは明白ですよね。行動やルールの本来の目的を見失ってしまっては「勉強が下手な人」と何も変わりません。
まず、自分の能力を効率良く引き上げる・引き出すためには、できるだけ頭を使う必要があります。
インプットとアウトプット
(この項は、主に管理人視点での話になります・・・)
管理人の場合はウェブサイトを運営していますので、生産すべき「特定の成果物」というのは、例えば、ウェブサイトのコンテンツが該当します。私自身、身に付けた色々な知識や能力を文章化して他人に分かりやすく伝達するという行為をもっと効率化するにはどうしたらよいか、について(時々ですが)考えています。
生産性の問題を突き詰めると、どうやったら効率良く情報をインプットしてアウトプットできるか、という問題に行き着きます。
インプットに関して
情報を発信する上では、情報をインプットするスピードがとても重要です。
もしも、飲み物を飲み込むかのように情報を摂取できれば、もの凄い速度で情報をインプットすることが可能になるような気はします。ドラえもんのひみつ道具に登場する「暗記パン」の世界ですね。もちろん空想上の話ですが、そんな未来が待っていても私は不思議ではないと思います。
生産性という観点から、インプット作業の律速になるポイントを今一度考えてみます。インプット作業において費やされる時間は、次のように分けられるのではないでしょうか(インプットする内容は予め決まっているものとします)。
① 情報源へのアクセスに要する時間
② 情報の内容を理解するために要する時間
③ ただ単にぼーっとしているだけの時間(?)
本当にこれだけなのかは不明ですが、主に①と②に時間を費やしているのは間違いありません。情報源というのは、新聞でも教科書でも参考書でもテレビでもネット上の何らかのソースでも何でも良いのですが、情報発信のための第一歩として、世の中に点在するそれらの情報を統合し収集する作業が必要になります。情報を集めるためには、本を買うとか図書館へ行くとか新聞を読むとかGoogleで検索するとか、色々やるべきことがあります。ここをいかに効率化するかが腕の見せ所とも言えます。
数学や理科のように普遍的に成り立つ事柄について色々と解説するだけであれば、情報の速報性は特に重要視する要素ではありません。速報的な情報発信は基本的にニュースメディアにやらせておけば良いでしょう。まとめ系のウェブサイトでは時事ネタを特に多く取り扱う傾向がありますが、こうしたサイトの運営はコンスタントに記事を書き続けられる人でないと難しいでしょう。しかも一過性の話題ばかり取り扱っているとせっかく書いた記事が使い捨てになってしまうので、個人的にはすごく勿体無いと感じます(そこをどう感じるかは人それぞれだと思いますが・・・)。
それから、速報的なネタしか扱わないサイトを閲覧する際は、情報の裏がちゃんと取れているのかについてもちゃんと確認しなければなりません。嘆かわしいことにネット上では個人単位で発信される「飛ばし記事」が多く出回っており、正確な情報源に基かない情報発信が頻繁に行われています。センセーショナルな見出しの記事は、大抵アクセス稼ぎのために用意されているアフィリエイト記事です。ネット広告費の闇の部分ですね・・・。
話が脱線してしまいました。
「① 情報源へのアクセスに要する時間」というのは工夫次第で短縮することが可能です。そもそも今の時代はネット上にあらゆる情報が転がっており、情報収集に必要な時間は現状でも十分短くて済みます。よほど複雑なものでない限り、ググればすぐに答えが見つかる時代ですからね。逐一ググるのでは効率が悪いというのであれば、プログラムを用いることでネットから色々な情報を収集することもできます。これをウェブスクレイピングと言います。ネット上の情報には知的財産権など色々な権利が絡んでくるので法的に問題のない範囲で行うことが求められていますが、ウェブスクレイピングは効率的に情報を収集する技術として今後ますます重要視されるでしょう。企業レベルになると独自にウェブクローラを開発して情報収集~データ解析に至るまでを自動化する、ということまでやっていたりします。ここまでくると情報源へのアクセスというよりは情報の(再)生産と言った方が適切かもしれません。
「② 情報の内容を理解するために要する時間」の程度は個人差によるところが大きいと思います。この時間を短くできるかどうかは個人の能力次第です。あるいは、他の誰か知識のある人に教えてもらうという選択肢もあり得ます。ネット上の掲示板やSNSを駆使すれば、見ず知らずの人から色々と教わることも可能でしょう。参考資料が日本語以外の言語で書かれている場合は大変ですが、Google翻訳という強い味方がいます。Google先生では力不足なら「みらい翻訳」や「DeepL」などの強力なオンライン翻訳アプリの力も借りましょう。ただし、その情報が正確な情報であることは、常に確認しなければなりません。
このような内容について、2015年のセンター国語で取り上げられて話題になった『未知への遭遇 無限のセカイと有限のワタシ』(佐々木敦/筑摩書房)の中で少し触れられています。人間はできるだけ頭を使いたくない動物であり、分かりにくい(例えば文章の多い)説明を拒絶する傾向にあります。しかし、分かりやすさ第一だと「なんとなく全てを理解したつもり」で終わってしまうことが懸念されます。この態度を克服しなければ、情報を発信する側にとっても受信する側にとっても不幸な事態に陥ってしまうと言えるでしょう。
ただ一方で、内容が難解すぎても話になりません。インプットにおいて重要なのは「分かりやすくアウトプットするためにはどのようにインプットしたら良いかを常に考える」ことです。そのためには、できるだけトップダウン的に勉強なり情報収集なりを進めるべきです。逆説的に思われるかもしれませんが、何も突拍子の無いこと言ってるわけではありません。アウトプットするために必要なインプット量がどれだけなのかを予め見積もっておくことは、計画を立てて諸々の作業を効率化する上で大切です。
また、情報源の内容を全て理解する必要があるかと言うとそうではありません。自分にとって必要な部分だけを抽出すれば良いのです。ある作業について、そのゴールが何なのかを明確にしておくことは、タスク消化のための重要なポイントです。「ここまでできたらそのタスクは終了したことにする」という一定の条件がなければ、時間を空費してしまいかねません。こうしたことを予防するため、「ほんの数分で終わるタスクは後回しにするな」とか「達成目標はすべて数値目標として見える化せよ」など、世の中では色んなルールが提唱されています。試験に合格するために満点を取る必要はない、というのと似ている気がします。
さらには、そのタスクがそもそも本当に自分がこなすべきタスクなのかを考える必要があります。こうしたタスクマネジメントを怠っている人が結構多い気がします。あらゆる行動は(大抵の場合は)目的ありきです。手段それ自体が目的と化すことも時にはあり得ますが、目的を意識しない作戦というのは大抵の場合、役に立ちません。そこで、まずは何らかの目標を設定しましょう。そして設定した目標に対する達成率を定期的にパーセンテージで表してみて下さい。それがちゃんと上がっているようなやり方なら問題ありません。何に関しても通じることですが、他人のスタイルは参考にこそすれ、過度に振り回されないようにすることが肝要です。勉強に関して言えば、自分の力が伸びていると自信を持って実感できる勉強こそが正しい勉強のあり方です。
目標達成のために必要な努力量や時間は即ちコストです。ここを何とかして切り詰めないと効率化はあり得ません。ただし、単位を取るのがラクな授業ばっかり取るといった学生生活を送っている人や、自分は一切仕事で苦労したくないし出世街道に全く興味がないという人が、将来豊かな人生を送れるようになるかと言われると、よく分かりません。全ての労力を一概に削減するというスタンスではなく、他人よりも多くのことを実現したいからこそ省力化する、というポジティブなコスト観を身に付けるべきでしょう。
それから「③ ただ単にぼーっとしているだけの時間」については意外に思われるかもしれませんが諸説ありまして、実は脳の働きを上手く調整する効果が有るとか無いとか言われています。普通に考えれば脳のアイドリング時間を極力減少させることは単位時間あたりの作業量を増やすことになるため、生産性の向上に直結するように思われます。一方で、人間の集中力というのは数十分が限界とされており、根を詰めすぎると色々と破綻してくるので、ある程度のリフレッシュは必要です。集中力を回復するポイントを所々に設け、集中する時間とそうでない時間をこまめに分割するなどして作業効率を一定に保つのは良い作戦と言えます。
猫や犬などがワークスペースに襲来したときの対処法は任意とします・・・(笑)。
アウトプットに関して
情報のアウトプットには色々な種類があります。例えばWeb上で何らかの文章を公開するとか、新聞などのメディアに意見を投書するとか、何らかの書籍を出版するなど、情報を世の中に送り出して不特定多数の人々に向けて発信する方法はたくさんあります。最近だとSNSで色々な情報発信を個人レベルで容易に行うことができます。凄い世の中ですよね。
管理人の場合だと、情報のアウトプットに相当するのはウェブサイトでの情報発信ですね。現段階での管理人個人の生産性のボトルネックは主に以下の点だと考えています。
1⃣ 情報の収集・インプットに時間がかかる
2⃣ アウトプットが思考速度に追い付いていない
3⃣ コンテンツのアイデアを形にするまでに時間がかかる
「1⃣ 情報の収集・インプットに時間がかかる」に関しては、時間的制約もあるので、個人の努力である程度凌ぐしかないでしょう。あとは、専門知識を持つ人から情報提供してもらうことも必要になるでしょう。例えば、英会話の勉強をするにあたって、自学自習の方が効率的なのか、それとも駅前留学などのように習い事として専門的な能力を持った人の協力を仰ぐのが良いのか。個人差もあるでしょうが、独学に限界を感じたときは専門家に教授してもらうことも時には必要です。
「2⃣ アウトプットが思考速度に追い付いていない」というのは改善の余地があるのでしょうか?(2⃣に関しては、最近はその思考速度すら遅いように感じていますが…)「3⃣ コンテンツのアイデアを形にするまでに時間がかかる」にも関連しますが、管理人自身のアウトプットに関する問題として、タイピング速度が遅いという点が挙げられます。訓練をすればある程度速くなるとは思いますが、これは結構致命的かもしれません。
これを解決する一つの手段として、Googleドキュメントを用いた音声入力が一つ方法として挙げられます。この音声入力、文章を作成するツールとしてかなり便利で、猛烈なスピードで文章を生成する必要に迫られている学生や社会人の方々には大変お勧めのツールです。
今の時代では大学のレポート課題なんかをGoogleドキュメントの音声入力で作成すれば、ものすごい速さで終わるのではないかと思います。
あとは画像やPDFからの文字起こしでしょうか。OCR技術の発達により、最近では文章だけでなく楽譜や見取り図までもスキャンしてデータ化することが可能になっています。例えば、GoogleドライブにアップロードしたPDFや画像をGoogleドキュメントで読み込むと文字起こししてくれます。事前に画像を加工しなければならないときもありますが、これにより事務作業が恐ろしいほど省力化できます。
最近ではLINEを通じて利用可能な「文字起こしばりぐっどくん」というアプリケーションが公開されており、高精度で文字起こしが可能です(ばりぐっどくんは右図のようなキャラクターです)。あと、あまり知られていませんが、LINEの画面キャプチャ機能にはテキスト化機能が付いていて、画像から文字起こしが可能です。
また、図表を作成して視覚的に説明を補強することも大切です。図表は内容をユーザーに分かりやすく届けることのできる重要なアウトプットの一つです。例えば、Excelで作成した表データやグラフを図に変換してウェブページに掲載したり、やや複雑な図形やフローチャート、グラフなどをPowerPointで作成したりするなど、Microsoft Officeの力を借りれば色々な表現が可能となります。現在では様々な画像編集オンラインアプリが公開されており、誰でも簡単に画像の加工ができます。
アウトプットの速度を上げる方法があれば寧ろ管理人の方が教えて頂きたいくらいです(笑)。世の中には一生懸命供給したくなるような知識が山のようにあるのです。もう一つ挙げるとすれば、これもまたプログラミングの力に頼ることくらいでしょうか。アウトプットを完全に自動化することは困難ですが、半自動化くらいならやってできないこともないかもしれません。HTMLをゴリゴリ書くならいざ知らず、当サイトのようにWordPressを利用しているサイトではちょっとハードルが高い・・・ように感じます。探してみる価値はありますね・・・。
情報をアウトプットする基本的な手段としては
・文章の執筆
・図表の作成
・音声&映像メディアの作成
などでしょうか。
「文章の執筆」+「図表の作成」というのは本の著者やウェブサイト運営者などの情報発信スタイルですね。これに「音声&映像メディアの作成」が加わると、レコード会社やテレビ局、ユーチューバー、映画配給会社などの情報発信者が当てはまります。
コンテンツを世に送り出すプロセスを極限まで簡素化すると、大体次のようになります。
Ⅰ 情報収集&イメージを確定する
↓
Ⅱ アイディアやイメージを具体化する
↓
Ⅲ コンテンツを校正して発信する
ⅠのプロセスとⅡのプロセスは同時並行で進められるときもあります。寧ろその方が多いかもしれません。大抵はⅡに時間の大半を費やしています。これが意外と思うように進まないのです(笑)。(〆切に追われている作家や漫画家がその好例ですね)
さらに音声&映像メディアの作成まで入ってくると、とても数人だけでは処理できない規模の企画になります。MVを作るというのでも大変な費用が嵩みますが、アニメやドラマの製作などはスポンサー企業無しでは成り立たないですし、映画に至っては時に回収しきれないほどの製作費を要することもあります。それだけ大きなインパクトを与えるものが作れると言えばその通りではありますが。
誰でもブログを始められてSNSのアカウントも自由に開設できる現代では、Ⅲの「発信する」という部分を満足する環境が人類史上最高に整備されています。インターネットが整備されていて情報収集も非常に容易ですし、例えば「いらすとや」などのイメージを具体化するツールも即座に、しかも無料で調達することができる世の中になっています。このⅠ~Ⅲの一連のプロセスを正確かつ迅速にサポートするようなプラットフォームが構築されれば、人々の情報発信能力は今以上に高まるでしょう。「note」のように不特定多数の人が、日記からレシピからアニメの感想から内部告発まで、多種多様な内容に関して投稿できるプラットフォームも登場していますし、今後はこうした「広場的な知的交流」がますます盛んになりそうです。
知識のインプットからアウトプットまでの流れを高速化するには戦略が重要です。また、生産的なコンテンツの創出は、量的な面だけでなく質的な面からも議論されるべきです。何らかの新しいシステムを導入するとか、他の情報発信者と交流する機会(例えばオンラインサロンなど)を設置するなど、これまでには無かった方法で情報交換したり議論を深めたりすることで、単なる量的な充実だけでなく質的にも充実した知的営為が実現するはずです。
情報供給の望ましい形とは?
昨今のコロナ禍に伴う外出自粛により、サービスのオンライン化があらゆる領域で、いまだかつてないスピードで進んでいます。教育に関しても例外ではありません。ネット上で買い物ができ、注文すれば出前も商品も届く。音楽や映像作品はオンラインで自由に楽しめる。人間社会とネット空間の繋がりはこれまでになく強固かつ連続的になってきています。こんな世の中になるとは、ほんの数十年前まで考えられなかったことです。
その文脈の中で、当サイトのような(どちらかといえば教育的な)ウェブサイトが果たし得る役割とは何でしょうか。
これは要するにどういうタイプの情報や知識なら再生産する価値があるのかという点に集約されるのではないでしょうか。人々の知りたい情報というのはかなり偏りがあります。教科書の1ページ目から最後のページまで網羅するような大規模な情報サイトを丹精込めて創り上げたとしても、一から十まで隅々まで読まれるということは考えにくいでしょう(というか現実の教科書ですらあり得ないと思います)。つまり、そういった教科書じみたサイトを作ったとしても大半が無駄(?)になりかねません。
そうではなく、教科書や授業だけではフォローしきれない内容を、需要の高いものを優先的に、いかに丁寧に発信できるかが求められているのではないでしょうか(ただし、色々な事情によって学校教育そのものへアクセスできない/できなかった人が居る、ということも忘れてはなりません)。
どの情報に重きを置き、発信する価値を見出すか。この分析が非常に重要です。それを踏まえた上で、他のサイトとどのように差別化を図っていくか。これは工夫のしどころであり、一種のマーケティング戦略とも言えます。現に、売れっ子と呼べる実力派ユーチューバーは教科書を頭から爪先までフォローするというよりは、ニーズのあるトピックに絞って解説動画を提供していますよね。
真似されるものというのはやはり「正解」に近いのだと思います(GoogleやAmazonのように他を圧倒して追従を許さないものも一部には存在しますが)。特に学問的内容に関しては、メディアを問わず、単なる知識の再生産と見なせるものが大半です。今や誰でも情報発信できる時代です。それはつまり、誰でも情報の発信のやり方を真似することができる(時には全く新しいスタイルを生み出すことすらできる)ということを意味します。物好きな参入者が増えて当サイトのようなウェブサイトが乱立してもおかしくはないですし、現にWixやjimdo、はてなブログなどの無料ホームページ作成サービスが隆盛を極めており、学習者向けのコンテンツを誰でも簡単に量産できる時代になりました。コロナ禍の影響なのかYouTuberも山ほど誕生しており、まさにレッドオーシャンの様相を呈しています。
しかしながら、この状況はユーザー側にとってあまり意味が無いというか、そういった状態に何らかの教育的な意義を見出すのは難しいのではないでしょうか。
この状態のイメージとしては、奇特な人々(ウェブサイト)が道にずらっと並んで自分のまとめたノート(記事)を一般市民(ユーザー)に見せびらかしている、という感じです。見に来てくれる人達は各自で色々な「ノート」を閲覧することができますが、それぞれの「ノート」の間にどんな関係・繋がりがあるのかまでは分かりません。つまり現状のネット空間内の情報群は、集合知として量的な要請にはある程度応えられていても、有機的に結びつけられた知識としては利用しにくい状態と言えます(勿論、現状でも集合知として十分機能している、という見方もあると思いますが)。
ピンポイントで欲しい情報にアクセスする手段やシステムが確立されていないと、コンテンツが幾らあっても無駄になってしまいます。最近はYouTubeなどで動画配信し、チャンネルを教室やサロンの代わりにして情報発信する人も増えてきましたが、動画から特定の情報だけを取得するのは、本を読むなどに比べて、ほとんどの場合非効率です(動画ってビジュアル的には映えますが、情報収集という面から見ると意外と効率悪いです)。また、情報はナマモノですから、ほったらかしているとどんどん鮮度が落ちていきます。情報やマーケティングのハブとなるプラットフォーマーが、GoogleアドセンスやAmazonアソシエイトなどを通じて、広告費による収入をモチベーションとした速やかで恒常的な情報発信を個人に促す、という今までに無かったシステムを作り上げている点は驚嘆すべきですが、結果的にはネット上の情報の氾濫に拍車を掛けただけで終わってしまっているようにも思えます。
21世紀も早1/5が終わろうとしているこの時代、検索エンジンのアルゴリズムは一段と優秀になってきています。しかしながら現状ではGoogleだけでなくBingもgooもYahoo!も百度も、検索結果を一覧表示するだけで終わってしまっています。情報の海には数多くの知的財産が投げ出されたままになっています。ウェブ上のコンテンツ間の関係をもっと有機的にイントロデュースすることのできる、言わば「ネオ検索エンジン」のニーズが今まで以上に高まっていると感じます。これが登場すれば、人類の知的体験はさらに高次のものとなるでしょう。そして個人的には、VR技術やAIが発達してきている現代には既にそれを実現するだけの素地が備わっていると思っています。
この「ネオ検索エンジン」は人類社会の生産性向上に資するだけでなく、知の再生産と均質化を一段と推し進めるという、ある意味では恐ろしい存在にもなり得るでしょう。人類社会における魅力的な集合知の在り方とは何か、私たちは色々と空想すべきなのかもしれませんね・・・。
「知識の再生産」というのは「知識の保持と拡散」とも言い換えられます。人間は基本的に忘れっぽいので、今後は必要とする情報にますます素早くアクセスできるような仕組みが要請され、またそのような社会になっていくと思われます。この辺りの事について、また今度何か書くかもしれません。
最後までお読み下さりありがとうございます。いつも通り、飛躍あり脱線ありの取り留めの無い文章になってしまいましたね・・・(笑)。お目汚し失礼しました。
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