「ペンタダイヤモンド」に関する騒動について

先月の頭に「ダイヤモンドよりも硬い物質が予測できたかもしれない」というニュースが舞い込んできた。物性科学界隈ではビックニュースか、と期待をもって受け取られていたが、結論から言うと、この出所となる論文に重大な計算ミスが発覚したため取り下げられてしまった。今更ほじくり返すのも顰蹙を買ってしまいそうではあるが、他山の石とするべく敢えて書き残しておく。

 

 ペンタダイヤモンド相

事の発端は2020年6月30日付の米物理学誌Physical Review Letters(電子版)に掲載された「Pentadiamond: A Hard Carbon Allotrope of a Pentagonal Network of sp2 and sp3 C Atoms」という論文である。あまり詳しくは書かないが、ダイヤモンドよりも硬い弾性を持つ可能性のある新奇の炭素結晶相が計算化学により理論的に予測された、という趣旨のレポートになっている。

この新奇炭素結晶というのは、単位格子あたり88個の炭素原子を含み、空間群が$Fm\bar{3}m$の結晶で、論文中では「ペンタダイヤモンド」と名付けられている。

図1.ペンタダイヤモンドの単位格子

結晶中には$\mathrm{sp^2}$炭素と$\mathrm{sp^3}$炭素が混在している。これはspiro[4.4]nona-2,7-diene[5.5.5.5]fenestratetraene が交互に組み合わされたような結晶構造になっている。ただし結晶中に水素原子は存在せず、骨格のみが共通である。

ついでなので、この2つの分子構造も載せておく。spiro[4.4]nona-2,7-diene には鏡像の関係を有する2種類のコンフォマーが存在するが、コンフォマー間の障壁は 10 kJ/mol 未満であり室温ではほとんど無視できるレベルである。[5.5.5.5]fenestratetraeneは平面構造ではなく馬の鞍のような構造をとっており、分子は90°に捩れた対称性をもつ。いずれも合成可能な分子である(特に後者についてはsynarchiveに合成ルートが公開されている)。

図2.spiro[4.4]nona-2,7-diene
(対称性は$C_2$)

図3.[5.5.5.5]fenestratetraene
(対称性は$D_{2d}$)

一応、各種構造の座標を掲載しておく。

» xyz座標データ

spiro[4.4]nona-2,7-diene
C -2.161029689010 0.735593608759 -0.483955668759
C -2.375040878080 -0.215471456482 0.428804838050
C -1.141405128486 -1.058614020933 0.652739105205
C 0.000037519690 -0.227128602590 0.000148982558
C -0.751183929957 0.684339163083 -1.024013178159
H -2.906507809371 1.440308388377 -0.843313040780
H -3.321266754208 -0.407189037981 0.927907114303
H -0.943738279932 -1.271332033562 1.711650900663
H -0.280870688075 1.671134356284 -1.120523114742
C 2.161444139670 0.733358155285 0.486064913017
C 2.374401958667 -0.213827081219 -0.430949806477
C 1.140718588312 -1.056723515303 -0.655915674260
C 0.751928892929 0.679971697219 1.027145044823
H 2.907152031947 1.436894805868 0.847256502218
H 3.320051023143 -0.403633920514 -0.931919866329
H 0.941963014567 -1.266792057080 -1.715130124906
H 0.282410113880 1.666797236343 1.127893190914
H 1.254347048239 -2.037326561836 -0.165848890531
H 0.748311731645 0.234210860072 2.034425336928
H -0.746701563366 0.242640507602 -2.033086361193
H -1.253619528258 -2.037958072632 0.159872068920

(鏡像異性体)
C -2.161029688959 0.735593609623 0.483955667589
C -2.375040878019 -0.215471456997 -0.428804837539
C -1.141405128601 -1.058614021798 -0.652739104111
C 0.000037519508 -0.227128602755 -0.000148982804
C -0.751183929692 0.684339164811 1.024013177860
H -2.906507809516 1.440308389053 0.843313038748
H -3.321266754152 -0.407189039161 -0.927907113567
H -0.943738280910 -1.271332036163 -1.711650898018
H -0.280870687698 1.671134358449 1.120523112767
C 2.161444139707 0.733358154526 -0.486064914295
C 2.374401958909 -0.213827080091 0.430949806924
C 1.140718588145 -1.056723514768 0.655915675883
C 0.751928892920 0.679971695410 -1.027145045754
H 2.907152031977 1.436894804718 -0.847256505026
H 3.320051023054 -0.403633919726 0.931919867299
H 0.941963014270 -1.266792054902 1.715130126255
H 0.282410112807 1.666797234341 -1.127893193338
H 1.254347048170 -2.037326561572 0.165848893513
H 0.748311731809 0.234210856967 -2.034425336686
H -0.746701563400 0.242640510259 2.033086361263
H -1.253619528377 -2.037958073031 -0.159872065721

(遷移状態)
C -2.204638102266 0.552440468680 0.696733749907
C -2.428092777865 -0.406584693328 -0.203179146739
C -1.153523740670 -0.947429092459 -0.796033323766
C -0.006233100936 -0.141370485424 -0.102606510684
C -0.738155896321 0.841609386898 0.882812394916
H -2.977260057030 1.081915965380 1.249028812809
H -3.408737070293 -0.775188135329 -0.493731825026
H -1.132860218112 -0.823496744095 -1.888823090970
H -0.502973746607 1.892175601811 0.660654045102
C 2.248315334061 0.660366889647 -0.410570392689
C 2.312180020591 -0.260555377413 0.554788261049
C 1.016303665989 -1.029788929304 0.670008110615
C 0.899948107994 0.651917473784 -1.092845189312
H 3.066178922509 1.305649734730 -0.720260474956
H 3.190276426885 -0.483576461054 1.155126037223
H 0.702683649484 -1.216781354626 1.705246916838
H 0.503951151309 1.653881465258 -1.303463133089
H 1.121698702790 -2.019955794926 0.197625824745
H 0.972075526759 0.139932079578 -2.066149041526
H -0.425756872967 0.682520480667 1.924773898128
H -1.053978114121 -2.028430061353 -0.618388192631


[5.5.5.5]fenestratetraene
C -1.136129145129 -2.104848825742 0.433684272608
C -1.908001637144 -1.443598410901 -0.430781736642
C -1.324739987945 -0.101817963801 -0.827989075980
C -0.000283181125 0.000064858817 0.000119579166
C 0.101802423327 -1.324284384668 0.828480069154
H -1.357186602695 -3.088464905993 0.841253108243
H -2.847167125756 -1.812025622061 -0.836578735276
H 0.088942314634 -1.140919609718 1.915410318122
C 1.908531497198 1.442368822058 -0.430664834520
C 1.137116274983 2.104524266430 0.433469469004
C -0.101783020783 1.325298894935 0.827890340963
C 1.324047925943 0.101681511414 -0.828640576849
H 2.848115515459 1.809818022976 -0.836402559625
H 1.359192469696 3.087997916187 0.840786971630
C 1.443535273130 -1.907480542644 0.431420136293
C 2.104328042936 -1.136555662234 -0.434213965459
H 1.812320650023 -2.846125894858 0.838116203410
H 3.087770711113 -1.357864717211 -0.842037329862
C -2.105067614149 1.136204386138 -0.433401633567
C -1.443415435539 1.908341857961 0.430542837358
H -3.088995128912 1.357058507524 -0.840327654666
H -1.811789828655 2.847618569576 0.836135382058
H 1.140397674318 0.089888505343 -1.915488048402
H -1.141529908574 -0.088737429164 -1.914907635197
H -0.089373187448 1.142961536018 1.915053470622

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 他グループによる指摘

A. R. Oganovらのグループは7月17日に提出したコメントにおいて、ヤング率が 1691 GPa、せん断弾性率が 1113 GPa というダイヤモンドを凌ぐ値は計算の誤りによる結果だと指摘している。実際にはヤング率が 417 GPa、せん断弾性率が 170 GPa 程度であり、0.22という正のポアソン比を有する結晶構造であることが計算により明らかにされた(普通のダイヤモンドは0.2程度だが計算値はもう少し小さくなる)。つまり、ペンタダイヤモンドの弾性率は中程度であり、同程度の密度の炭素結晶構造としては特筆すべきものではないという主張である。

L. Boeriらのグループも7月21日にペンタダイヤモンドのポアソン比が負であるという結果は得られなかったとコメントを発表している。ペンタダイヤモンドの構造データを再現する計算を行ったところ、バンド構造やフォノン分散は正確に再現できたものの、弾性特性については元の報告とは全く異なる結果が得られたとしている。

これらの外部の指摘を受け、筑波大は7月31日までに当論文について、結論に影響する計算の誤りが発見されたとして論文を取り下げたことを発表した。利用したシミュレーションプログラムの扱い方を誤っていたことが原因とのことである。物性の予測は物理学や化学における重要な目的であるだけに、インパクトの大きな結果であればあるほど、シミュレーションの方法には細心の注意を払って結論を導かなければならない。このことを改めて実感する出来事であった。

 


勢い余って名付けられた「ペンタダイヤモンド」という名前はともかく、この結晶構造自体は割合美しいと言えるのではないだろうか。今回初めて報告された結晶相であるため、実際に合成されたという例はまだ無い。弾性に関しては別としても、他に面白い物性がないのかについては気になるところである。合成例の報告を待ちたい。

 

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