【化学】初めて異性体が見つかった化合物

皆さんは歴史上初めて「異性体」の存在が認められた化合物が何か知っていますか? 本稿では異性体の発見に至った歴史的な経緯について、ご紹介します。

 

「異性体」とは

高校化学で異性体という概念を学びます。異性体は高校化学の教科書で「分子式は同じである互いに性質の異なる化合物」と説明されています。

異性体には大きく分けて、「構造異性体立体異性体」の2種類があります。立体異性体はさらに「エナンチオマー(enantiomer)」と「ジアステレオマー(diastereomer)」に大別でき、エナンチオマーはいわゆる「鏡像異性体」に、ジアステレオマーは「シス-トランス異性体」(いわゆる「幾何異性体」)や立体配座の異なる「配座異性体(回転異性体)」にそれぞれ分類されます。

図.異性体分類早見表

とっても簡単に言ってしまうと、配座異性体を除く異性体同士を相互変換するには少なくとも一つ以上の化学結合を切断する必要があります。一般に化学結合を切断するのに必要なエネルギーは膨大であるため、異性体同士が自由に変換されることはなく、各異性体を別々の化学種として分離することができるのです。

※現在、「光学異性体」や「幾何異性体」といった名称は推奨されていません。また、「配座異性体」という用語をアトロプ異性体」のように単結合の回転障壁が高い(室温程度では自由に回転できない)化合物に対してのみ用いる流派もあります。

 

 雷酸とシアン酸

「分子」や「化学結合」といった概念が確立されている現代の化学では馴染み深い「異性体」という考え方ですが、1820年代までその存在は認識されていませんでした。

異性体発見のきっかけとなった化合物が「雷酸」と「シアン酸」です。

図.雷酸とシアン酸の構造

いずれもCNHOという化学組成をもち、結合する原子の順番が異なるだけの化合物です。

雷酸は、1800年にイギリスの化学者エドワード・ハワード(Edward Charles Howard;1774~1816)が、水銀塩の形で初めて調製に成功した化合物です。雷酸は英語では “fulminic acid” と呼ばれています。これはラテン語で「稲妻」(英語では “lightning”)を意味する “Fulmen” から名前が取られたものです。この名は雷酸の非常に高い爆発性に由来しており、雷酸塩は爆薬の起爆剤や弾丸の発射剤としてその後100年近くにわたって使用されることになります。

シアン酸(cyanic acid)はドイツの化学者フリードリヒ・ヴェーラー(Friedrich Wöhler;1800~1882)によって1825年に発見されました。雷酸と違ってシアン酸には爆発性が無く、非プロトン性のアセトンやエーテルなどの溶媒中では比較的安定に存在します。フリードリヒ・ヴェーラーと言えば、無機化合物から初めて有機化合物を合成した功績により「有機化学の父」と呼ばれている著名な化学者です。

※「ヴェーラーの尿素合成」の画期的なところは、それまで生物にしか作ることができないと考えられていた有機化合物を、シアン酸とアンモニアという無機化合物を出発物として合成したことにあります。この実験結果を起点として、その後の化学界では有機化学が爆発的なブームになります。


組成が全く同じであるにも関わらず性質が全く異なるというこの2つの化合物を巡って、当時のドイツ化学界で大論争が巻き起こることになります。

 

 雷酸を愛したリービッヒ

雷酸の歴史を語る上で絶対に外せないのが、現在のドイツ、当時のヘッセン大公国の首都ダルムシュタットで生まれた化学者ユストゥス・リービッヒ(Justus Freiherr von Liebig;1803~1873)です。

リービッヒは少年時代から化学に魅せられており、学校の課題を放ったらかしてはダルムシュタットの宮廷図書館に通いつめ、大人向けの化学関連書籍を読み漁っていたそうです。そのせいで学校の成績は芳しくありませんでした。

※後世に名を残している偉大な科学者の中には何かと学童時代の成績が悪い天才タイプが多いものですが、リービッヒも例に漏れず成績不良だったようです。因みに、彼は皆さんも良くご存知であろう「リービッヒ管」の考案者です。

ある日、リービッヒはギムナジウム(当時のヨーロッパにおける中等教育機関)に雷酸水銀を持ち込んで運悪く爆発させてしまい、これが元で退学処分となってしまいます。そこで彼は、ヘッセン大公国南部の都市ヘッペンハイムの薬剤師に弟子入りして住み込みで化学の勉強を続けるのですが、そこでまたもや雷酸塩の爆発事故を起こしてしまいます。(これだけを聞くと、とんでもない問題児ですね…)

ヘッペンハイムを追い出されて実家に戻ったリービッヒは、ヘッセン政府の奨学金の助成を受けて、当時新設されたばかりのボン大学に入学します。ここでもリービッヒは雷酸塩の研究を続けたいと考えていましたが、当時の指導教官だったカール・カストナー(Karl Wilhelm Gottlob Kastner;1783~1857)はリービッヒの興味の対象であった無機化学の研究テーマに明るくなく、リービッヒをがっかりさせることになります。そんなこんなでグレてしまった(?)リービッヒは、当時過激化していた国粋主義的な学生運動に関わって暴力沙汰を起こして逮捕されるなど、卒業までは紆余曲折がありました(この件が尾を引いて、博士号が付与されたのは卒業から1年以上経った1823年のことでした)。

博士号保留のままのリービッヒでしたが、ヘッセン大公であったルートヴィヒ1世から奨学金の受給が認められ、1822年にパリ大学に留学することになります。そこで「気体反応の法則」などを発見した功績で著名な化学者、ゲイ=リュサック(Joseph Louis Gay-Lussac;1778~1850)の研究室に所属します。それから2年後の1824年、遂にリービッヒは自身の愛した雷酸塩の研究成果を世間に発表することができました。

※指導教官だったカストナーはリービッヒの化学に対する並々ならぬ情熱と才能をよく理解しており、パリ留学の資金を工面するのを手伝ったそうです。カストナーの働きかけが無ければルートヴィヒ1世からの奨学金が認められることはなかったでしょう。

 

 雷酸とシアン酸は同じ化合物か?

ゲイ=リュサック研究室でリービッヒはさらに雷酸の研究を進め、雷酸銀の定量分析を行うことになりました。すると、つい最近ヴェーラーによって調製されたシアン酸銀と同じ組成をもつことが判明したのです(上述したようにヴェーラーのシアン酸発見は1825年です)。リービッヒは初め、ヴェーラーの分析の正確性を疑いましたが、結局どうやら正しいようだと認めざるを得ませんでした。

では、雷酸とシアン酸は実際に同じ化合物なのでしょうか? 当時の分析技術では正確な分子構造も分かりませんし、そもそも分子という概念すら曖昧なものでした。

侃侃諤諤の論争の末、同じ組成をもつ化合物であっても分子内の原子の配置の違いによってその性質が大きく異なる場合がある、ということを認める形で議論が決着します。この現象は、スウェーデンの化学者イェンス・ベルセリウス(Jöns Jacob Berzelius、1779~1848)によって “isomerism“、すなわち「異性化」と名付けられました。

この “isomer“「異性体」という存在の認知が、その後「構造化学」という学問分野が確立する端緒を開くことになるのです。

※ベルセリウスは「触媒」や「同素体」、「有機物」、「タンパク質」といった化学における重要な用語を初めて明確に提唱・定義した化学者です。元素記号の表記法の提案者としても知られ、彼の考案した表記法は現代でも使われています。因みに、彼は自身が20年近くにわたって著した “Jahresbericht über die Fortschritte der physischen Wissenschaften”(物理科学の進歩に関する年次報告)という報告書において、雷酸の話題を度々取り上げています。

※雷酸とシアン酸の構造を巡る論争自体は白熱したものの、この「異性体」の発見がきっかけとなり、リービッヒとヴェーラーは生涯にわたる友情を結ぶことになります。後に2人で尿素やシアヌル酸に関する共同研究を行なっています。

 

 構造が異なる=性質が異なる

形が違えば性質も違う、ということは赤ん坊でも分かる自明なことのように思われます。しかし化学が扱うピコメートル~ナノメートルという極めて微小な世界で起きている現象は、電子や原子すら発見されていない19世紀初頭には誰も知る由もありませんでした。

ジョン・ドルトン(John Dalton;1766~1844)が原子という考え方「原子説」を提唱したのは1803年、アメデオ・アヴォガドロ(Lorenzo Romano Amedeo Carlo Avogadro, Conte di Quaregna e Cerreto;1776~1856)が分子という考え方を示した「アヴォガドロの法則」を提唱したのは1811年のことです。

実は、リービッヒの師であったゲイ=リュサックは既に1814年の段階で酢酸とセルロース(グルコース)の組成が同じであることを指摘しており、「化合物内の原子の配置はその液性に影響を与えうる」と異性化の可能性を予見していました。こうした裏付けとなり得る実験結果の蓄積が「異性体」という全く新しい可能性を受け入れる素地を醸成していたことは特筆すべきことに思われます。

それから十年余りしか経っていない1825年に異性体という概念が確立され、化学界に広く受け入れられたというのは、寧ろ進歩的とすら言えるのではないでしょうか。


このように、「構造が異なる=性質が異なる」という考え方が明確になったのは19世紀初頭の出来事でした。「異性体」という考え方が受け入れられてから200年が経った現在では、構造と性質を結び付けて考えるのは当然になっています。面白い構造やシンプルで美しい構造を持つ化合物には特異な物性が宿るという信念の下、新奇化合物の探索が世界中で盛んに行われています。現代の「構造化学」という化学の一大分野は、雷酸とシアン酸というたった4原子の化合物から出発していたのです。

※1825年と言えば日本ではちょうど文政の異国船打払令が発布されている年代で、西洋文明は蘭学を通じてしか入ってこない時代です。因みにベートーヴェンの「第九」がウィーンで初演されたのは1824年のことです。

 


【参考文献】

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