「図解」と「違法な情報卸屋さん」に関する雑談

最近悪い意味で話題の「図解」と、ネット上での情報発信に関する雑談です。気楽にお読み下さい…。

 

「図解」

最近「図解」という情報発信スタイルについての言及が増えているように感じます。いずれも批判的なもののようです。「情報商材」という語が普及して久しいですが、「図解」というのはそういう怪しげなものではなく、見た目は寧ろもっとキャッチーなものです。

具体的には、書籍のおおまかな内容を数枚のスライド画像にまとめてポンチ絵とともに概要を紹介する、というのが「図解」のスタイルのようです。幾つか見てみると、まあ確かに分かりやすくまとまっているものが多いように思います。

しかし、これって著者の了解を取っていないと著作権侵害に当たるのでは? という疑問が浮かびます。実際、この手の情報の集約は「翻案ほんあん」にあたり、「引用」のレベルを超えているため著作者の許諾が必要になります。「図解」をしている人々は実際に利用許諾申請を行っているのでしょうか…?

「アイデアと表現の区別」は著作権を巡る難しいテーマの一つですが、ただ単に著作物の内容を要約しただけの「図解」という情報発信方法は「表現」ではなく「アイデア」の流用に相当すると判断するのが妥当でしょう。まして、こうした図解集を販売して利益を得るなど以ての外です。

 

 違法な情報卸屋

掲示板まとめサイトとか、一部の切り抜き動画制作者とか、上述の「図解師」とかいう人々は、結局のところ仕入れた生の情報を(時に加工して)右から左へ流しているだけです。管理人は、このようなスタイルで情報発信している主体を「(違法な)情報卸屋おろしや」と勝手に名付けています。平たく言ってしまえば商材屋の派生形です。

これは結局何をやっているのかというと、要は「情報の転売」です。たとえ要点をつまんで分かりやすくしたり、ビジュアルに訴えるようにアレンジしたりしたとしても、結局は模倣品に過ぎず、他人の成果物で利鞘りざやを稼ぐ転売的行為でしかありません。買い手は時間とお金を節約(?)して効率的に情報収集する。売り手は書籍や動画の内容を切り貼りして単純化したものを「商品」として売りさばく。このようなグレーなビジネスが横行しつつあり問題化しています。無料で公開していたとしても、著作権を侵害しているという違法性に変わりありません。

自己啓発書などをこのようなスタイルで紹介している有名なYouTuberとして挙げるとすれば、某Nさんとか某Dさんなどでしょうか。こうしたインフルエンサーをロールモデルにしている駆け出しの情報発信者はそれなりにいるのではないでしょうか(当然、全員を観測できている訳ではありませんが)。あるいは、一部の商材屋にき付けられてこうした行為に及んでいる可能性もありそうです。

※自己啓発書を読むことについて管理人は別に何とも思いません。本なんて自分の気に入ったものを勝手に読んでいれば良いと思うのですが…。一方で、こうした類の書籍は海外では「キャリアポルノ」と呼ばれており、読んで自己満足するだけの「啓発」とは名ばかりの駄本、と見なす向きもあります。どちらが正しいというものではない気もしますが、本を読むなら色々なジャンルを手広くカバーするのが良いのかなと思います。人生のヒントというのは、なかなか狙ったところには落ちていないものですから…。


YouTubeにおける「切り抜き動画」なんかも似た存在といえば、そうかもしれません。オリジナルの動画を閲覧するには数時間必要なものでも、要所要所を押さえたまとめ動画を見るだけで満足するライトな層には、確かにウケが良いでしょう。しかし――オリジナルの動画の著作権者が切り抜き動画の作成・公開を容認している場合は別ですが――無断で他人の著作物である動画を編集してアップロードすることは違法行為です。未だに映画やドラマ、アニメなどの違法アップロードもYouTubeだけでなく色々なプラットフォームで横行しているようです。

少し前に「ファスト映画」が社会問題になりました。これは映画のあらすじを文字や画像(悪質なケースでは実際の映像)を使って数分で解説してしまうというもので、意図したネタバレ動画とも言えるものです。こんなことをされては映画業界は商売上がったりです。こうした動画の投稿者は広告収入で大きな利益を上げていたと言われています。

数年前に検挙された「漫画村」という違法なウェブサイトもありました。このサイトでは漫画を電子化して画像として掲載し、作者や出版社に無断で公開していました。これはいわゆる海賊版サイトで、こちらも広告収入で莫大な利益をむさぼっていたようです。掲載作品は多数に上り、出版業界の被害額は総額3200億円(!)とも言われています。こうした行為は著作物の制作や正規の流通を阻害し、正しい形で文化が発展する上で障害となります。現在でも類似のウェブサイトが相変わらず問題になっていると聞いています。

同じことは書籍についても言えます。書籍を出版するには多くの労力とコストが必要です。まず著者は情報の収集や整理、文章の執筆や校正、画像の作成や利用許可申請などに、多くの労力と時間を費やしています。そして、原稿が出来上がったら終わり、ではありません。印刷業者や出版社、取次などを経て、ようやく本が書店に並ぶのです。店頭で売られている本の値段がこのコスト分なのです。

書籍という形式は、確かに本質となる情報まで一直線に辿り着ける媒体ではないかもしれません。映像作品もまたコンテンツの消費に時間の掛かる媒体と考える人々が一定数存在しているのは事実です。そのため、キュレーションメディアや「ファスト映画」、そして「図解」にも一定の需要があることは否定できません。

しかしそうした知的生産を害する行為を野放しにしていては当該分野そのものが廃れてしまう恐れがあります。「みんな見てるし/使ってるし」という考えの持ち主は、クリエイターやコンテンツの制作・販売に携わる人の立場をよく考えてみるべきです。

※以上の著作権上の問題は「動画は求めている情報を迅速に取得する媒体として適していない」とか「動画には本質的な情報に関係無い情報が多いので文章を読む方が良い」などといった「動画劣後論」(管理人が勝手に命名したものです)とは切り離して議論されるべきです。

 

 私見、余談

たぶん誰にも読まれていないと思いますが、以前「生産性とコンテンツの発信に関する雑談」という記事を書きました(内容は薄いのでわざわざ読む必要はありません)。情報発信を効率的に行うにはどうすれば良いか、情報供給の望ましい形とは何かについて、当時考えていたことを適当に書き散らしています。

この記事では特に触れていませんでしたが、管理人自身は、基本的に知識そのものはその多くが再生産されていくものだと考えています。知識を不特定多数と共有し、共有された知識は世の中に際限なく不可逆的に拡散されていく。世の中に公開されている以上、拡散・共有を禁じたところで、結局イタチごっこになるのは仕方のないことだと思います。本の著者だって本来は自らの知識を不特定多数と共有するために執筆しているはずです(ただ単に金儲けしたいという人もいるとは思いますが)。有用な知識・体験が世の中に広まって結果的に人々の暮らしが豊かになるのであれば、それはそれで結構なことではないでしょうか。

※入試問題の過去問の解説を公開したり、詳細が省かれがちな学術書の解説を公開したりすることも一見すると情報卸屋っぽいですが、誰かのアイデアをそのままそっくりコピーしている訳ではないので、合法の範囲内に収まっています。また、情報の再生産の適法/違法性はその時々の社会的意義に基づいて議論されるべきだとも思います。再生産された情報が誰かの利益や権利を損ねていなければ法的な問題は無いはずです。


ただし、勿論、著作物は知識だけではありません。物語や画像、音楽などといったアイデアや創造物は、野放図に情報がコピーされる世界では守り切れません。良質な著作物が生み出されるシステムや土壌の維持もまた、コンテンツを、そしてそれらを取り巻く文化を守るための重要な取り組みです。

何らかの方法で著作物の複製を防止する仕組みや、仮にデータがコピーされても著作権者の利益が損なわれないような仕組みが求められていることは確かです。それと同時に、クリエイタに対して正当な対価を支払うべきだという意識を社会全体にしっかり根付かせることも大切です。コンテンツ大国の日本では特にそうした意識の醸成じょうせいが不可欠であり、政府を挙げて積極的に日本の文化や技術の保護(「規制」ではない)を進めるべきです。

例えば、最近では様々な音楽配信サイトでサブスクリプション(定期購読)が盛んに行われるようになってきました。こうした動きによって、違法な音楽配信は大きく減少したのではないかと思います。少しでもクリエイタに正当な対価が行き渡る世の中になって欲しいものですね。

※余談ですが、最近ではNFT(Non-Fungible Token)と呼ばれるブロックチェーン技術を活用した「非代替性トークン」が大きな話題を呼んでいます。NFTを発行して電子データに紐づけすることでデジタルデータを「固有化」し、「電子データなのに複製不可能にする仕組み」が実現できます。残念ながら現在のNFT市場はまだまだ成熟しておらず、アーリーアダプターが札束で殴り合う混沌とした状態にあります。しかしNFTを活用した経済活動は今後ますます市井に広がっていくと見られています。


本来、知識や情報の共有は「市民的」な営みを理想とするものだと(少なくとも管理人個人は)考えています。しかしながら、ここ最近は「商人的」な営みに陥っている情報卸屋が増えてきていることを懸念する意見に多く接するようになりました。

人の創作物を許可なく丸パクリして著作権を侵してまで金儲けするというのはともするとラクそうにも見えますが、これは社会の知的集積の秩序を毀損きそんする行為に加担するものです。情報発信を行う者には常にこの認識が求められています。情報発信は(理想的には)そもそも利他的であるべき行為だと思います。

※念のため断っておきますが、この主張は金銭的対価を創作活動のインセンティブとすること自体を批判するものではありません。


世界初の新聞の刊行から約400年、ラジオの発明から約120年、テレビの発明から約100年、そして世界初のウェブサイトが公開されてから今年でちょうど30年、インターネットが発達した現代の情報拡散はより高速化しています。今では個人単位でブログやSNSを通じて情報発信できる時代になりました。YouTubeでは個人個人が自分のチャンネルを運営して動画投稿だけでなくLIVEまでできるようになり、さながら個人プロデュースのラジオ局やテレビ局を運営しているかのような世界が実現しました。

コロナ禍のあおりもあいまって、昨年から今年にかけてAR/VR技術が目をみはるような成長を見せています。国際学会やライブはバーチャル会場で行われ、アバター同士でのコミュニケーションが普通に行われています。「メタバース」はもはやゲームや小説の中の空想にとどまらず、日常生活に馴染んでいく段階にあるという指摘も増えてきました。

現代社会においては多対多の情報交換が可能となり、私達は人類史上例を見ない情報拡散能力を手に入れました。そしてこの情報の送受信の拡大は今後ますます進むことでしょう。一方でこれは人類社会のコンテンツの爆発的増加や希薄化・均質化に拍車を掛けることにも繋がります。

今回取り上げた「図解」という「情報の集約」を目指す傾向は(著作権侵害の問題を一旦脇に置くと)、少し大袈裟に捉えれば、情報が氾濫している現代の高度な情報化社会に対応するための一種の過渡現象とも言えそうです。今後、類似した情報集約スタイルが新たに登場する可能性は十分にあります。(そしてその度に法的な問題が立ち上がってくるでしょう)

膨大な情報を如何に効率よく集積してアクセシブルな様式で共有・保存するか、というのは今後、現実的な課題として生じてくるでしょう。これを解決する方向でもWeb3.0や、その先のWebが構築されていく気がしています。

果てには、アメリカの著名起業家であるイーロン・マスク氏が立ち上げたNeuralink社のBMI(脳マシンインタフェース)による脳への直接的な記憶の読み書きも、いよいよ突飛な発想と笑っていられない時代が訪れるでしょう。脳に外部記憶装置を直接接続するという、さながら「攻殻機動隊」の世界観を地で行く時代がそのうちやってくるのかもしれません…。それはそれで楽しみですが(笑)。

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