知識を繋ぐウィキペディア

今回は単なる雑談です。日本語版ウィキペディアを閲覧していて、ふと発見した機能についての取り留めの無いお話。


  • ウィキペディアが新しくなった

いきなりですが、皆さんの中でウィキペディアというものを見たことも聞いたこともないという方はまずいらっしゃらないでしょう。調べものをするときに参考にするという方も多いと思いますが、そのウィキペディアのページに新機能が登場しているようなのです。以下の図をご覧下さい。

何の変哲もないページですが、ここで「問題解決」のリンクにポインタをかざすと・・・

こんな感じにリンク先の情報が吹き出しになって出てくるようになっているのです!(スクリーンショットではマウスポインタが映りません)

従来ならいちいち新しいタブを開くなどして、気になる項目について調べなければなりませんでしたが、この機能のお陰で情報へのリンク・取捨選択がとても簡単になりました。しかも項目によってはリンク先の画像も表示されるようです。凄い進歩ですね。

この機能は日本語だけでなく韓国語やアラビア語、スペイン語、フィンランド語、アフリカーンス語などでも整備されているようです。話者の多い中国語や英語などではまだ実装されていないようですが、いずれほとんどの言語で実装されるでしょう。

また、既に実装されている言語でもページによっては機能が無かったり、発動するのまでに時間が掛かったりするようです。今がちょうど過渡期ということなのでしょう。


  • 知識をつなぐ

ウィキペディアの「記事どうしをつなぐ」というガイドラインにある通り、知識とは他の知識と接続してこそ使いこなせるものです。管理人も例に漏れず、中高校生の頃に英単語の暗記を延々とやらされましたが、単語の持つ他の意味やその語源、類義語・反意語などといった背景的な(言わば余計な)知識があるだけで、いざという時にパッと思い出しやすくなるという体験は何度も経験したことがあります。皆さんもそんな経験がおありではないでしょうか。

ネット上の情報は尽きることが無いように感じられますが、実際にはそんなことはありません。

例えばアマゾンの広告。私がパソコンをアマゾンで購入したとしましょう。そうすると色々なサイトで表示されるほぼ全ての広告がパソコンやその関連機器の「おすすめ」で埋まってしまいます。これはマーケティングにおける最適化の一部なのでしょうが、商品の情報、広告に限らず、政治に関する情報や、流行・芸能など趣味に関する情報まで、無意識のうちに選択してしまっていることが多々あります。しかもそれは本人の意思に無関係なところで選択されてしまっているのです。

先日、病院に行く機会があったのですが、待合ロビーをふと見ると20代くらいの人から60代くらいの人まで、(私を含めて)その場にいた8割くらいの人がスマートフォンを操作していたのです。他にもよく指摘されているように、電車や地下鉄でのスマホ使用率は極めて高く、冷静に考えるとその光景は異様に映ります。このように現代人はインターネットにすぐ繋がるスマートフォンが身近に存在している環境に慣れきってしまっているため、自分の得ている情報が実は「既に選択された情報」であることになかなか気付けないのです。


  • 余計な知識 ≠ 無駄

そこで辞書の話に戻ります。

先述の通り、知識とは余計なものまで含めて生きてくるものです。知識とは情報の集積ですから、狭められた領域から得られる情報で出来上がる知識は当然ながら浅く、広がりに欠けたものになってしまいます。辞書という普遍的な情報の塊には知識を拡張させ、接続させる性質があります。

ところで、一時期、電子辞書ではなく紙の辞書を使うべきだという電子辞書に対する批判がありましたが、スマホが圧倒的な存在感を発揮している昨今ではあまり聞かれなくなりました。元々はと言えば、「電子辞書は最初の数文字をタイプしただけで候補がズラッと出てくるから単語が覚えられなくなる」という教師側からの批判に始まっているものだと思われます。学生達が「何を言うか、この年寄り連中が」とこき下ろすところまでは良いのです(笑)。

確かに初期の電子辞書(90年代以前)はリンク機能が乏しく、紙の辞書の方が優れていたことは事実です。しかし現在の電子辞書はかなり進化し、英和・和英・英英は勿論、使い道のないような辞典まで導入されたハイスペックなものが揃っています。そして量だけでなく質も向上していると言えます。辞書・辞典における質には、説明だけでなく、「知識を繋ぐ力」も含まれています。そういった意味で今回のウィキペディアのバージョンアップ(?)は百科事典としての質を向上させる一大アップデートと言うことができるのではないでしょうか。

勿論、ウィキペディアの情報が全て正しいというのは重大な誤認ですが、あくまで一つの情報源(ソース)として、自身を活用してもらえる幅を広げたというところに意味があると言えます。(ウィキペディアは様々な人が執筆に協力していますから、優れた記事もあれば、中にはとんでもないデタラメな記事もあります)

「自分の情報は限られているのだと認識すること」と「情報源を複数確保し、確かな知識によって情報の信憑性を裏付けること」。これが巷で流行りの「メディアリテラシー」のイロハのイです。最近何かと話題になる「フェイクニュース」に対抗するには、やはり情報の世界における「免疫力」が必要なんですね。


(コメント)

ウィキペディアの新機能から膨らんで、色々と大げさに書いてしまいました。今回はこの辺で終わりましょう。

 

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