和積の公式・積和の公式は暗記すべきか?

三角関数の学習が進んでくると出くわすのが「和積の公式」や「積和の公式」と呼ばれる公式群である。これに関して、世の中には「その場で導出」派と「このくらいは暗記」派が存在している。本稿では明治時代の文献を引っ張り出して考えてみる。取り留めの無い記事ではあるが、暫しお付き合い頂きたい。


コンテンツ

所見

公式語呂合わせ一覧

例題集


・所見

和積の公式とは次のようなものであった。$$\sin A+\sin B=2 \sin \dfrac{A+B}{2} \cos \dfrac{A-B}{2}$$この中身を置き換えてひっくり返せば、次の積和の公式が得られる。$$\sin A \cos B =\dfrac{1}{2}\{\sin (A+B)+\sin (A-B)\}$$

世の中には導出派と暗記派の二大勢力が存在しているが、筆者はと言うと、正直どちらでも良いと思っている。多くの教育者は、その場で導出できるようにしておくべきだと言うだろうが、それは「暗記するな」ということを意味する訳ではない。実際、この程度であれば覚えてしまっても良いだろう。但し、暗記していた公式を忘れたから使えなくなったというのでは話にならない。加法定理から各公式を導出することは易しいので、ある程度は訓練しておくのが望ましい。暗記するにしても、その分量は最低限とし、尚且つ加法定理から導出する原理を知っている上で行うべきである。

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ところで、明治末期のとある受験参考書には、むやみな公式暗記を戒める文章が掲載されている。全く以て現代に通ずるところがあり、教育者は100年以上も前から盲目的な公式暗記の弊害を訴えているのである。以下の文章は明治39年(西暦1906年)に出版された当時の受験参考書「官立学校入学秘訣」から引いたものである。


次ニ云フベキハ此科ニハ公式ノ多キコトナリ、此等ノ公式ヲ一々暗記スルハ到底出來得べキコトニアラザレバ先其內最必要ナルモノノミヲ慥ニ暗記スルヲヨシトス、然ラバ其他ノ公式ハ容易二求メ得ラルベシ、其最必要ナルモノトハ

前記基礎ノ公式。三角函數ノ符號。餘角補角等 三角函數ノ關係。二角ノ和及差ノ三角函數。倍角ノ三角函數。二ツノ正弦或ハ餘弦ノ和若クハ差ヲ積ニテ表ハスコト及其逆。三角形ノ角ノ三角函數ト邊トノ關係。

等ナリ、昨年ノ高等學校入學試驗ニツキテノ保田教授ノ意見中二アル如ク「三角形二關係ナキ式ニ三角形ノ式ヲ用ヰ」ルコト實ニ無暗ニ多數ノ公式ヲ暗記スルノ弊ニアラズシテ何ゾヤ。

『官立学校入学秘訣 : 一名・受験者必携』
「数学」第二章より抜粋(※誤植訂正済み)


現代の先生方にとっても大変頷ける内容であるように思われる。数学には公式が多いのであるが、これらを逐一暗記してしまうのではなく、最も基本となる公式のみを覚え、後はその組み合わせで公式を導けるようにしておけ、という真っ当な内容である。

なお、本文中における「前記基礎ノ公式」とは以下の関係式のことを指している。$$\sin ^{2} A+\cos ^{2} A=1$$ $$ 1+\tan ^{2} A= \frac{1}{\cos ^{2} A} =\sec ^{2} A$$ $$1+\cot ^{2} A =\frac{1}{\sin ^{2} A} {=\csc ^{2} A}$$ $$\sin A \,\mathrm{cocsc}\,A = 1 $$ $$\cos A\,\sec A=1$$ $$\tan A \,\cot A =1$$正割 $\sec$ や余割 $\csc$($\mathrm{cocsc}$)、余接 $\cot$ は最近の高校では教わらないが、これは以下の関係にあるように、単に $\sin$、$\cos$、$\tan$ の逆数として表されるためであろう。$$\begin{align}\csc A&={\frac {1}{\sin A}}\\\sec A&={\frac {1}{\cos A}}\\\cot A&={\frac {1}{\tan A}}\end{align}$$その他にも「最必要ナルモノ」として多数の事柄が列挙されているが、実際に公式の導出において核となるのは、上述の「前記基礎ノ公式」に加え、正弦・余弦の加法定理のみである。それ以外の倍角・半角の公式や和積・積和の公式はこれらの基本的な関係式を用いて導出できる。

末尾の「無暗ニ多數ノ公式ヲ暗記スルノ弊ニアラズシテ何ゾヤ」というのは、この例、延いては数学のみに留まらず、学問全般について言えることであろう。100年以上も昔から暗記教育を戒める風潮は確かに存在しているのである。

巷には「数学は暗記だ」と唱える教育者や参考書も存在するが、それは学問の本質からかけ離れている。勿論、覚えるべき最低限の知識は存在するが、その知識を用いて新しい公式という「道具」を作る能力、即ち「知恵」を丁寧に育てて貰いたいものである。「知恵」は一朝一夕では身に付かないのであるが、大学の研究に於いては、知識のほかに、そのような「知恵」が役に立つことが多い。


・公式語呂合わせ一覧

昔ながらの語呂合わせを紹介しておく。勿論、各関係式の導出ができるようになっていることを前提とした上でご利用頂きたい。

$\sin A+\sin B=2 \sin \dfrac{A+B}{2} \cos \dfrac{A-B}{2}$
師 は     信 仰

$\sin A-\sin B=2 \cos \dfrac{A+B}{2} \sin \dfrac{A-B}{2}$
師 引     っ越 し

$\cos A+\cos B=2 \cos \dfrac{A+B}{2} \cos \dfrac{A-B}{2}$
子 は     孝 行

$\cos A-\cos B=-2 \sin \dfrac{A+B}{2} \sin \dfrac{A-B}{2}$
子 引く    負け 獅 子

積から和に直す関係式はこれらを組み合わせて足し引きすれば得られるので、これだけ覚えておけばよい。


・例題集

少し変わった出典から引いてきた。100年以上も昔からこういう出題があるというのは初めて見る者からすると新鮮に映るかもしれない。

例題①

$A+B+C+D=360^{\circ}$ナレバ次ノ式ヲ證セヨ。
$$\cos A+\cos B+\cos C+\cos D \\ =4 \cos \dfrac{A+B}{2} \cos \dfrac{B+C}{2} \cos \dfrac{C+A}{2}$$

(名古屋第八高等學校 明治41年度 第9問)

旧制八高と言えば、現在の名古屋大学の前身である。本問は、$A+B+C+D=360^{\circ}$ のとき次の式を証明せよ、という題意。和積の公式が使えれば単純な計算問題である。

» 【解】

【解】

$D=360^{\circ}-(A+B+C)$ のとき、$\cos D=\cos(A+B+C)$ となることに注意する。$$\begin{align} & \cos A+\cos B+\cos C+\cos (A+B+C) \\ =& 2 \cos \frac{A+B}{2} \cos \frac{A-B}{2}+2 \cos \left(\frac{A+B}{2}+C\right) \cos \frac{A+B}{2} \\ =& 2 \cos \frac{A+B}{2}\left\{\cos \frac{A-B}{2}+\cos \left(\frac{A+B}{2}+C\right)\right\} \\ =& 2 \cos \frac{A+B}{2} \cdot 2 \cos \frac{A+C}{2} \cos \left(-\frac{B+C}{2}\right) \\ =&4 \cos \dfrac{A+B}{2} \cos \dfrac{B+C}{2} \cos \dfrac{C+A}{2} \end{align}$$よって示された。

(了)

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こちらの出処も珍しいが、題材は現代の入試とほとんど変わらない。

例題②

次ノ等式ヲ証セヨ。$$\cos^2 27.5^{\circ} + \cos^2 32.5^{\circ} + \cos^2 87.5^{\circ} = \dfrac{3}{2}$$

(陸軍士官候補生選抜試験 明治42年度 第1問)

半角の定理も、元は加法定理から導かれる公式であって、度忘れしたからといって慌てる必要は毛頭無い。

» 【解】

【解】

加法定理から得られる関係式 $\cos 2 \theta=2 \cos^{2} \theta -1$ により、$\cos ^{2} \theta=\dfrac{1+\cos 2 \theta}{2}$ が導かれるので、$$\begin{array}{l}{(\text{左辺})} \\ {=\dfrac{1+\cos 55^{\circ}}{2}+\dfrac{1+\cos 65^{\circ}}{2}+\dfrac{1+\cos 175^{\circ}}{2}} \\ {=\dfrac{3}{2}+\dfrac{1}{2}\left(\cos 55^{\circ}+\cos 65^{\circ}+\cos 175^{\circ}\right)} \\ {=\dfrac{3}{2}+\dfrac{1}{2}\left(\cos 55^{\circ}+2 \cos 120^{\circ} \cos 55^{\circ}\right)} \\ {=\dfrac{3}{2}+\dfrac{1}{2}\left(\cos 55^{\circ}-\cos 55^{\circ}\right)} \\ {=\dfrac{3}{2}}\end{array}$$よって示された。

(了)

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例題②の試験の第2問目である。当時の入試にはこうした三角法に関する設問が多く出題されている。

例題③

$A+B+C=180^{\circ}$ ナルトキ次ノ等式ヲ証セヨ。

 

$\sin 8 A+\sin 8 B+\sin 8 C$ $=-4 \sin 4 A \sin 4 B \sin 4 C$

 

(陸軍士官候補生選抜試験 明治42年度 第2問)

和積の公式を用いて左辺を積の形に変形していく。

» 【解】

【解】$$\begin{align} &(\text{左辺}) \\ =& 2 \sin 4(A+B) \cos 4(A-B)+2 \sin 4 C \cos 4 C \\
=& 2 \sin 4\left(180^{\circ}-C\right) \cos 4(A-B)+2 \sin 4 C \cos 4 C \\
=& -2 \sin 4 C \cos 4(A-B)+2 \sin 4 C \cos 4 C \\
=& -2 \sin 4 C\left\{\cos 4(A-B)-\cos 4\left(180^{\circ}-A-B\right)\right\} \\
=& -2 \sin 4 C\{\cos 4(A-B)-\cos 4(A+B)\} \\
=& -2 \sin 4 C\{2 \sin 4 A \sin 4 B\} \\
=& -4 \sin 4 A \sin 4 B \sin 4 C \end{align}$$

(了)

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確かに、和積の公式は暗記するようなものではないのだが、覚えてしまっていた方が実用上は便利である。近年では放物線同士の囲む面積を求める公式などについて、邪道だ、と仰る大学の先生方も居られるが、受験の世界に於いてはそういう流儀もある、と割り切った方が良いのかもしれない。

勿論、数学のこころを忘れてはならないということは言うに及ばぬことであって、暗記するにしても最初から丸暗記に走るのではなく、理屈をしっかり理解した上で暗記するべきである。

 

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